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30ruby記

30歳からはじめたRubyプログラミングと教育Startupの記録。

BlogとRubyと教育startupをはじめます。

梅田さんがこう言っている。

自分がいま十八歳だったらと考えてみる。好きなことがあるけれど、それを直接仕事にできるかどうかはまだわからない。ネットはユーザとして好きだ。そんな「十八歳の自分」をイメージした時、私は彼にどんなアドバイスをするだろう。

(中略)

「十八歳の自分」に向けて私は迷わず「ウェブ・リテラシーを持つ」よう助言するだろう。リアル世界とネット世界の境界領域のフロンティアを生き「新しい職業」につく可能性を広げるためのパスポートだと思うのだ。

ウェブ・リテラシーとは、たとえばこんなことである。

((1)~(3)中略)

(4) ウェブ上に溢れる新しい技術についての解説を読んで独学できるレベルまで、ITやウェブに対する理解とプログラミング能力を持つ。
梅田望夫ウェブ時代をゆく』(P208-209)

 

知っている人は知っている通り、僕ほどの梅田望夫Evangelistは少ないでしょう。事ある毎に周囲の人に勧めてきたし、アマゾンのマーケットプレイスで『ウェブ時代をゆく』を片っ端から購入して、講義の後で話しかけてくれた学生に何十冊も配り歩いたりもした。にもかかわらず、僕はウェブ時代の「パスポート」と梅田さんが明言する「プログラミング能力」については見て見ぬふりをしてきた。

自分の勝負する場所はそこじゃないと思ってきたんだろうなぁ。。。プログラミングを勉強するのは大変だから、脇に置いておきたかったのもある。哲学とか文学とか経営とか教育とか、当時の僕には学びたいことが多すぎた。十代半ばで(なぜか)Delphiやろうと本を買ってきて、さくっと挫折した経験も響いていた気もする。

でも、つまるところ僕は『ウェブ時代をゆく』の本質が分かっていなかったのだと思う。10年近くずっと。プログラミングを学びはじめて、ようやくそれが分かった。個人が生き延びるための生命線として、また、個人が世界に変革をもたらすためのツールとして、こんなにも力強いツールは他にない。それを感じている今、僕はかなりワクワクしながらRuby (on Rails)を学んでいます。

目標は3月下旬のサービスリリース。そのステップとして、今月中にプロトタイプを作って、年内にα版でテストして、年が明けたらβ版でテスト。ずいぶんゆっくりしたペースに見えるかもしれないけれど、単なるWEBアプリではなく、リアル世界の人が絡んでくるサービスなので、僕が起きている間じゅうずっとこれに没頭したとしても(当然そうするつもりだけれども)、これが限界のスピードでしょう。

 

Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール

Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール

 

僕にプログラミングを学ぼうという決意をさせてくれたのは、十日くらい前に東大の院試を終えて、合格発表の前後で読んでいたこの本。Yコンビネータ―の創業者であり、この本の主人公であるポール・グラハム彼の有名な自著でこんなことを言っている。

What hackers and painters have in common is that they're both makers. Along with composers, architects, and writers, what hackers and painters are trying to do is make good things. 

ハッカーと画家に共通することは、どちらもモノをつくる人間だということだ。作曲家や建築家や作家と同じように、ハッカーも画家も、良いものをつくろうとしている。

 この本を、梅田さんはこう評している

ハッカーは「良いものを創る人間」で、「良いものを創る」ことは「富を創る」ことに他ならない。俺たちハッカーは、論文を書くだけの学者や、決められたものを作るエンジニアとは一線を画す偉大な存在だ。芸術家たるハッカーこそがIT(情報技術)における価値の大半を創出しているんだ。そんな俺たちのことを理解してくれ。この本からは強烈な自負心を持つハッカーの叫びが聞こえてくる。

要するに、ハッカーとは天才プログラマであると同時に、新しくて凄いものを創造する「現代の芸術家」であるということ。しかも、彼らの作品は高い付加価値を持ち、それが現代の莫大なる富の大半を生み出している。そう語るポール・グラハムは、別のところでこう言ってる。

Great programmers are sometimes said to be indifferent to money. This isn't quite true. It is true that all they really care about is doing interesting work. But if you make enough money, you get to work on whatever you want, and for that reason hackers are attracted by the idea of making really large amounts of money.

偉大なプログラマは金に関心がない、と言われることがある。これは必ずしも正しくない。ハッカーたちが本当に大切にしているのは、面白い仕事をすることだ。でも、十分な金を稼げば、それからはやりたい仕事ができる。そしてこの理由から、ハッカーは莫大な金を稼ぐことに惹かれる。

「子曰く、三十にして立つ」という言葉を拠り所に、僕が自分の人生で本当にこれをやっていこう、と決意した仕事はCrazy Learnersです。やりたいことはやり始めてしまった方がいいので、もう始めてます。学んでくれてる人たちもいます。でも、これは本当にどでかい夢なので、うまく伝えるのは難しいし、時間がかかるし、第一、金にならない。

一方で、いま始めようとしているスタートアップは、ベンチャーです。ベンチャーとは、梅田さんの言葉を借りれば「(大きな決心と責任を伴う)期限付きで挑戦するビジネスゲーム」のこと。これは僕の一生の仕事ではないです。第一に、ベンチャーってのは、一生の仕事にするには大変過ぎる。だからこそ、どこの国でも本当のベンチャーを立ち上げるのは若者なわけで。

でも、若者には若者の限界がある。たとえば僕が二十代の時には、ビジネスのことをまったく分かっていなかった。今は、失敗を経たおかげで、だいぶ分かるようになりました。まず、ビジネスにはニーズがなくちゃいけない。理想が先ではいけない。

僕が本当にやりたいことは、きっと三十年後にはニーズが顕在化しているでしょう。でも、僕は三十年間じっと待っていることはできない。だから、その三十年後を十年後に引き寄せるために、僕はこのベンチャーをやります。きちんとニーズを見据えて、三十年後ではなく、十年後くらいを見据えてやります。

これが成功すれば、教育という概念が二十年分、前倒しでより良くなるかもしれません。その分だけ、人生を諦める若者が減り、ぶっ壊れた家族が減り、社会には活力が戻ってくるかもしれません。「ちょっと」かもしれないけれど、それはそれで大事な「ちょっと」のはずです。そして、その時に僕に金や力があれば、僕はCrazy Learnersという仕事に没頭できるはず。それができれば、きっと、僕の一生の役目は果たしただろう、と安心して死ぬことができるような気がする。

 

なんてことを胸に秘めながらプログラミングをはじめたわけだけど、実際のところ家に引きこもってて「git push heroku master」とかやっても「動かねーじゃんこれ!」みたいな、本当にささやかで初歩的な問題にぶつかり続けて凹むことが多いので、ちょっとでも社会とつながろうと思ったのが、このブログをはじめようと思ったきっかけです。あと、今後増えるであろう仲間が読んでくれて、何かを感じてくれるといいな、みたいなことも思ってます。

 

最後に、次の十年で僕がやりたいことをまとめておきます。

次の十年でビジネス的に最も熱い分野のひとつが、ネットと教育の境目にあるのは間違いないでしょう。いわゆるEdTechってやつで、そこには「新しい職業」もたくさん生まれる。でも、僕の目からすると、現在期待されている多くのEdTechは、テクノロジーに依存しすぎている。僕はウェブを通じた教育を六年やりました。それはそれで意味があったとも思う。ウェブの可能性は素晴らしい。そこには新しい教育の形が確かにあると僕も思っています。でも、ウェブには、テクノロジーには、それだけでは限界がある。そこを見極めなければ、真に「教育」が変わることはないでしょう。だって、教育の対象は「人」ですから。テクノロジーの下に「人間」がいるわけではなく、人がほんとうに人らしくあるためにテクノロジーを活かさなきゃいけない。

そういう思いを持って、ずっと考えたり、動いたりしてきた。たとえば『ウェブで学ぶ』で梅田さんと対談した京大の飯吉さんがはじめたOpenEducationの会合にも足を運んだり、ASEAN全10カ国の資本主義と教育の事情を歩いて見て回ったり。その上で、教育とは何かを考えるべく教育学を一通り学びました。素人考えの限界も感じていたし、人からそう見られるのも嫌だったから。やはり学問、歴史の積み重ねは偉大です。教育学を学ぶのは思っていた以上に刺激的でした。その副産物として、東大院の教育学研究科にもパスしました(だから来年4月から学生になる予定です。入学ないし卒業するか決めてないけど)。でも、僕はアカデミックな人間として生きたいわけじゃない。何がしたいのか。結局、現実を変えていきたいわけです。

こないだ代ゼミの縮小が報道されたり、もう常日頃から学校がダメだと叫ばれたりしているのは、然るべき教育が行われていないからでしょう。教育へのニーズは、常にあるんですから。本当に良い教育が行われていないのは、すべては教師のせいです。いや、そう言うと語弊があるな。言い換えましょう。教師が、教師として、その本領を発揮できないシステムのせいです。だから、教育がしょーもないものに見えてしまう。そんなものにお金を出す余裕は、どんどんなくなってくるわけで。教育への期待値は下がり、ますます教師は生きづらくなり、、、なんて悪循環が、少なくともここ二十年くらいずっと繰り返されてるわけです。

でもね。偉い学者さんがいろいろ言ってるけれど、教育において大事なのは、一人の教師が出ることですよ。一人の教師が出れば、教育は変わります。どんなに理想的なシステムを作っても、そこに一人の真の教師がいなければ、教育は行われません。僕は、その一人の教師を応援したい。

教師というのは、常にいます。僕はあまりいい教師ではないが、良い教師たりうる人を僕はたくさん見てきた。たくさんいるんです。教育熱を持った、素晴らしい教師が。そういう人間が、活躍できる場がない。だいたいが、学校の中で雑事に追われて熱意を削がれてしまったり、塾の中でサービス残業をしまくる都合のいい講師になってしまったり。そんなんじゃ、本当にいい教師になる素質のある人だって、やる気を失うでしょう。だから、そもそも先生になろうとしない。素晴らしくやる気や能力があり、かつ先生になりうる素質を持って生まれた人が、先生にならないんです。それじゃ、教育も悪くなるでしょう。

だから、僕が、その問題を解決します。テクノロジーを使ってね。教師が輝くことのできる場所やシステムを、学校の外に作っていきます。それに賛同してくれる人、応援してくれる人、一緒になって作ってくれる人を、一人ずつ増やしていきたい。そういう人を求めている人は、たくさんいます。つまり、ニーズはあるということ。だって、いま、システム的な欠陥のせいで、良い教師に巡りあうことができなくなっているだけなんだから。

本物の教師と出会うことのできる機会が増えれば、教育に対する信頼も取り戻されるでしょう。それには時間がかかります。でも、教育というのは、元々時間がかかる営みなんです。Googleみたいに、Facebookみたいに、一夜にして全世界に広まるなんてことはないかもしれない。でも、テクノロジーがあるから、そこまでじゃないにせよ、結構なスピードで変えることはできるかもしれない、と僕は内心では思っています。

いま皆諦めてるでしょう。もう教育に解決策はないなって。でも、僕はそうは思わない。地道な行動かもしれないけれど、テクノロジーに支えられた地道な行動は、必ず教育を変えていくはずです。僕はそれを確信している。それを具体的に示せるところまで行けば、僕一人じゃなんもできないけれども、教育に想いのある人が、それぞれの問題を引き受けて、解決して、一緒になって必死こいていけば、真に教育をより良くしていくことは夢物語ではないでしょう。

結論を言います。僕は、これからはじめることがEdTechの本命だと思っています。もちろん、現段階のアイデアはアイデアに過ぎない。問題点だらけです。でも、筋はなかなかいいと思っている。だから、これを元にサービスを作っていきます。ネット×教育、つまりEdTechの本命のサービスです。

いまの教育の会社って、ほとんどが昔の会社でしょう。その勢力図を、僕は塗り替えたい。そこで働いている人たちは良い人もたくさんいるので悪いけれど、いつでも時代はそうやって更新されてきたのだから。そして、実際、そうしなきゃいけないと思う。一刻も早く、それを解決しなければ、今日もまた一人、人生を諦める若者が生まれているでしょう?目には見えないけれど、そんな悲しいことはない。滅びるべきものを生きながらえさせようとするから、構造が歪になって問題が多発するんです。

だから、僕が新しいEdTechの本命を作ります。世界にも通じうるサービスです。正直、僕がやろうとしているサービスは、今はまったく見当たらないけれど、将来的にはたくさん生まれるでしょう。ビジネスになるから。でも、こういうことはビジネスに飲み込まれてはいけない。

しかし、そういう事は起こりうるんです。インターネットは幸運だった。たとえばGoogleが「邪悪になってはいけない」を第一の社是としているのは有名ですよね。でも、もしGoogleでなかったら?たとえば、中国内にはGoogleYouTubeもないんですよ。すべての検索が政府の監視のもとに置かれているわけです。そういう事は起こりうるわけです。

EdTechの本命も同じです。教育は、ビジネスに飲み込まれてはいけない。でも、飲み込まれるかもしれない。EdTechの本命がどういう人間・サービスによって担われるのか。こういうことは、歴史においてただ一度しか起こりえないことです。そこで誤った在り方になってしまったら、教育は取り戻すことの出来ないダメージを受けるでしょう。だから、僕は、たいした人間じゃないけれど、教育に人生を賭けようと決めた一人の人間として、そこだけは譲れないという想いで、EdTechの本命を創ろうと思っています。

 

二十行くらいのつもりで書きはじめたのに、久しぶりの文章なので、書きはじめたら熱くなって、出過ぎたことを書きました。まぁ、でも、これもいい記念かな? 最後まで読んでくれてどうもありがとうございます。ということで公開ボタンを押そうと思います。久しぶりのはてな&ネット復帰でもあります!頑張るので、応援よろしくお願いします!

 

馬場祐平