30ruby記

30歳からはじめたRubyプログラミングと教育Startupの記録。

教育をハックしよう Let's Hack the Education

 プログラミング経験ゼロから半年間、必死に独学して、サービスをリリースしました。会社も設立しました。以下、それを経て僕が感じたことの報告です。文章がいつも通り(いつも以上に)長くてすみません。前回、訳もわからないままバズった記事の続きです。

 

30ruby.hatenablog.com

 

半年間、Rubyを本気で独学した結果。

人は、独学でも、プログラマーになれます。なれました。Rubyは、いまテクノロジーに興味のある日本人が学ぶべき言語で間違いないです。たった一人でサービスを開発して、それを軸にチームや会社が立ち上がっていくなんて、かつては考えられなかった。今この世界で何かを成し遂げたい人にとって、「Ruby」を身につけることは、そのための強力な武器を手に入れるに等しい。

前回のタイトルに「文系向け」って言葉をつけました。その意図は、こういうことです。世の中には「想い」を持った人がたくさんいる。でも、想いを持った人は往々にして、テクノロジーが弱い。だから、想いが形にならない。そのせいで、うまく立ち上がらなかったり、あるいは、立ち上げてもつまらないモデルになってしまう。そんなんじゃ、仲間もユーザーも集まりません。良いアイデアにも、もちろんお金にも結びつかない。

本当にインパクトを出したいのであれば、その想いを持った張本人がテクノロジーを学ぶべきなんです。尻込みしてはいけない。テクノロジーを学ぶことこそ、現代社会でインパクトある何事かを成し遂げるための最短ルートです。そのためのベストな道のひとつが、「Ruby」であることは間違いない。ありがたいことに、それを高速に走らせてくれる「レール」(Ruby on Rails)まで整備されているんです。

では、どうすればRubyというプログラミング言語を身につけることができるのか。半年間を経て、僕がたどり着いた結論を書きます。簡単です。プログラミング言語を身につける一番の方法、それは、英語を身につける方法と同じです。

英語をマスターした人や高速で習得している人は、夢の中でも英語を話します。同様に、プログラミングを最も早く修得する方法は、夢の中でもコードを書くように生きることです。すなわち、プログラミングを「生活」にすること。実際、僕は夢の中でも頻繁にコードを書くようになりました。最初はびっくりしましたが、今では日常茶飯事です。

プログラミングを生活にするとは、「プログラマーの世界」で生きることです。比喩ではないです。画家が常人とは異なる仕方で世界を眺めるように、あるいは、Googleグラスをかけた視界に膨大な情報が流れ込んでくるように、プログラマーは独特な「技術者の眼」で世界を眺めています。プログラマーになるとは、その「眼」を獲得することに等しい。

プログラミング言語を学ぶと、思考の方法が変わるために、自分の脳の構造が組み変わったように感じます。考えてみれば、これは自然なことです。言語の本質とは、思考の仕方であり、世界の感じ方だからです。プログラミング言語は紛れもない言語であり、習熟するにつれて、これまで経験したことのない思考の仕方、世界の感じ方が身につきます。

このような根本的な変化を、これまでの生き方の延長線上で遂げるのは不可能です。半年間、僕なりにプログラムを学んで感じたのは、本物のプログラマーとなるためには、それまで暮らしていた住み慣れた土地を離れ、プログラマー中のプログラマーである「ハッカー」達が暮らす国へと、身も心も移住する以外に道はないんだなぁ、ということです。

問題は、それを理屈で分かってもハッカー達が暮らす国へと移住できるわけではない、という点にあります。英語がネイティブの国に行けば英語ができるようになると分かっていても、様々な理由でほとんどのが移住できない/しないのに似ています。コードを書きたい、ハッカーになれればいいな、と考えている人は少なくないはずです。でも、まだ「学ぶ道」が十分に舗装されていないプログラミングの世界は、英語を学ぶ以上に深い溝が横たわっていて、一歩を踏み出すことがとてつもなく難しい。

幸いにも、僕は「はじめの一歩」を踏み出すことができました。まだ移住して半年の新人です。この世界で5年、10年、20年と生きている大先輩たちにまったく敵わないのは日々痛感してます。(この道10年の方に「半年で追いつけるよう頑張ります!」と言った時、不敵な笑みで「がんばれよ!」と返された意味が最近になって身に染みてます)。だから、こんな大それた文章だって、びくびくしながら書いてるわけです。それでも、今日は、言い切ります。

テクノロジーの世界も、英語と同様、はじめの一歩さえ踏み出せれば、その先はさほど難しくはない。Railsを開発している37signalsの人たちも、僕の誤解でなければそう言ってます。「半年から1年の経験がある人を雇うのは確かに意味がある。(中略)。だがその後、成長曲線は平らになる。驚くべきことに半年の経験と6年の経験は大差ない。本当の差は、応募者自身の熱意や個性、知性に現れる」。

もちろん細かな差はあるでしょう。プロにとっては、その差が生命線のはずです。でも、英語における日常会話もできないような駆け出しプログラマーにとって、それは誤差にすぎない。大事なのは、まず一歩を踏み出し、その世界に飛び込むこと。ハッカーの国へ移住してしまえば、そこから先は自分なりのやり方で習熟していけるのだから。

なぜ僕がハッカーの住まう国へと移住できたのか。答えは単純です。僕は、心の底からハッカーに憧れました。そうした生き方をしたいと思った。この国の昔の若者が、海の向こうの発達した文明に憧れた気持ちと同じです。あるいは、少年がプロのスポーツ選手に憧れる気持ちとも重なるでしょう。その憧れが、リスペクトが、僕をここまで連れてきた。

僕の努力や根性や能力も、ほんのすこしは関係しているでしょう。でも、それは本質的な問題ではないんです。大事なのは、憧れの世界へと一歩を踏み出す勇気、それだけです。その一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのは、先人たる過去のハッカー達が築き上げてきた文化や遺産でした。それが僕を虜にして、ハッカーの世界へと誘ってくれた。

今の僕には、本物のハッカーが活躍するオープンソースの世界に貢献する力はありません。いつかそうしたことができればいいなと思っているけれど、今はまったくもって無理です。でも、僕がこの世界に踏み入れて感動したことを、まだその世界を知らない人に伝えることはできる。僕のスパゲティ・コードはお見せできる代物ではないけれど、日本語の文章というコードなら、それをオープンにすることで、何がしかの貢献を成しうるかもしれない。そう考えて、新人なりのハッカー界へのContributionのつもりでこれを書いてます。

僕がプログラミングを独学したのには、いろいろ理由があるけれど、突き詰めれば「意地」です。プログラミングを学ぶ場や機会は、たくさんありました。天才ハッカーと呼ばれる方々と出会い、楽しくおしゃべりする僥倖にも恵まれました。でも、僕は彼らにプログラミングを学ぶことは控えました。その方が速くて楽なのは知っていたけど、通ってはいけない道に思えた。

なぜなら、僕が憧れるハッカーは皆、独学でプログラミングをはじめていたからです。彼らは好きで学んだ結果としてハッカーになったのであって、ハッカーになるという結果だけを求めてプロセスをすっ飛ばしたわけではない。それが学び方の整備された学校でハッカーが生まれない理由です。正しいかはわからないけれど、僕はそれがハッカーの流儀だと捉え、それに倣いました。

僕は独学が嫌いじゃないし、得意でもあります。ただ、その分だけ、独学の難しさや限界も知っています。だから、このあたりでプログラミングの独学は終えるつもりです。最初の一歩は踏み出せたから、ここから先は意地を張らずに、先達に教えを請いながら学びを深めていきたい。遠からず「レール」からも降りて、より広く深くテクノロジーの世界を探索したい。

半年前には、それができるかどうかすら分からなかった。地図もコンパスもない暗闇でした。でも、一歩踏み出して半年間やった結果、この先どうすればいいのか、おぼろげながらも見えてきた。同時に、テクノロジーの世界は、突き詰めると限りがないということを、本物のハッカーは生き様で教えてくれます。僕は、この青天井の世界を、少なくとも僕の30代を賭して駆け登っていくことを、そこから見える景色を、心から楽しみにしています。

この文章は、十数年前の僕のような、どうやって生きようか思いあぐねている若い人に届くといいなと思って書いてます。あるいは、僕が散々テクノロジーの素晴らしさを説いても尻込みする、僕の周りの誰か宛かもしれません。笑 いずれにせよ、その世界へと興味を持ちながら、飛び込みきれないでいる「誰か」の心に情熱を灯すといい。

迷っているなら、プログラミングをはじめましょう。言語で悩むなら、Ruby(on Rails)で間違いないです。僕が保証します。今こそ一歩を踏み出すべき時です、なんて言われて素直に踏み出せないのは僕もよく知ってます。人は誰かに勧められてハッカーになるわけではない。だとしても、後押しが役立つ時もあります。僕は教育者の端くれを自負しているので、おせっかいを承知で伝えたい。もし君にその才能があると感じるのなら、ハッカーへの一歩を踏み出すのは最高だよ、と。

ハッカーになるための秘訣について、世界で最も有名なハッカーの一人であるポール・グレアムはこう言ってます。

「良いハッカーになる鍵は、たぶん、自分がやりたいことをやることだ。私が知っている素晴らしいハッカーを考えてみると、彼らに共通することのひとつは、彼らが自分から望まないことをやらせるのは極めて難しいだろうということだ。これが原因なのか、結果なのかは定かではない。もしかすると両方かもしれない。

 

何かをうまくやるためには、それを愛していなければならない。ハッキングがあなたがやりたくてたまらないことである限りは、それがうまくできるようになる可能性が高いだろう。14歳の時に感じた、プログラミングに対するセンス・オブ・ワンダーを忘れないようにしよう。今の仕事で脳味噌が腐っていってるんじゃないかと心配しているとしたら、たぶん腐っているよ」

 

  (ポール・グレアムハッカーと画家』 第16章 素晴らしきハッカー

 

僕がプログラミングに対するセンス・オブ・ワンダーを感じたのは、ずいぶん遅くて、30歳を過ぎてからでした。ハッカーとして生きはじめるには、手遅れな年齢かもしれない。でも、取り返しのつかないような遅れではない。そう信じて、この半年間やってみて、何も言うことはありません。

学び続ける限り、いつでも、いくつになっても、想像を超えた世界が僕を待っている。そうした世界を歩み続けることそれ自体が、僕の生きがいだ。そのことを、プログラミングを通して、Rubyを通じて、あらためて実感できました。センス・オブ・ワンダーを胸に抱きながら、これからも、たゆまず学び続けていきます。

これまで僕は「愛すること」だけをしてきました。これからも「やりたくてたまらないこと」だけをしていくのでしょう。わがままですみません。でも、愛すること、やりたくてたまらないことを続けるために必要なことなら、険しい道でも厭わず歩んできたつもりです。ヒマラヤの絶壁をよじ登るみたいな芸当もやってきました。実際、一人でコーディングするのって、わりかし大変なんですよ。好きじゃなければ、やってられない。

幸いなことに、進歩の早いテクノロジーの世界は、大変だけれど、学ぶことの好きな人間にとっては、ディズニーを超えたワンダーランドです。その世界のとば口に立ち、勇気を持って一歩を踏み出した時、目に飛び込んでくる景色は、登山家が見る絶景に似ています。学びが青天井であるのと同じだけ、達成できる物事の可能性もまた果てしない。それは、これ以上ないくらいワクワクする世界です。愛すること、やりたくてたまらないことが、かぎりなく広がっている世界なんですから。

そうした世界を生きるコツは、僕なりにこう表現できます。学びとは、結果ではなくプロセスです。目的やゴールに固執してはいけない。生きることと同じです。ゴールは果てしない。だから、手にした結果にこだわりすぎてはいけない。大切なのは、目的地を北極星のように目指し、その道中での達成に一喜一憂しながらも、なにより、日々の「今ここ」を流れる時間を愛おしみ、慈しむこと。その時間の流れ方それ自体を、丁寧に味わうことです。

そうした時を重ねた果てに、僕はいつか夢見たものになれるでしょう。この文脈で言えば、ハッカーに。でも、そこに辿りついた暁には、今の想像を超えた何者かになっているはずです。正しいかどうかは分かりませんけど、僕はここまで書いてきたことを信じて、これを投稿したら、再びコードを書く日常へと戻ります。

以上が、僕がこの半年間で学んだことです。これからプログラミングを学ぼうとしている人に、少しでも役立てば幸いです。


というところまでが、前編です。後編はさらに長くてポエムですが、僕にとってはここまでが前フリで、ここからが本編となります。では、続けます。


十年くらい前に僕らが議論していたこと

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」

この一節を覚えてますか。二十一世紀の幕開けに、日本を象徴する言葉と喧伝されたフレーズです。ひょっとすると、若い人は聞いたことすらないかもしれない。村上龍が書いた「希望の国エクソダス」という小説の中で、主人公の少年が国会で語るセリフです。大学時代、僕はこうしたトピックを仲間たちとよく議論していました。

この国で生きていると、なんだか息苦しい。しばらく前のことですが、僕がそれをいくら語っても関心を持たなかった妹が、オーストラリアにしばらく行って帰国するなり、「日本の息苦しさ」をまくし立てていたのが忘れられません。彼女は彼女なりに、今はこの国で結婚して、あたらしい人生に向かってがんばってます。でも、心の奥底ではあの時に気がついた息苦しさを抱え続けているでしょう。おそらく、僕の妹だけではない。多かれ少なかれ、誰もが息苦しさを引き受けて生きている。

こうした現実を生きる中で、「息苦しさ」をいちいち言挙げするのは大人げないのかもしれません。夫にも子にも先立たれた僕の祖母は「人生なんて辛いことばかりだよ」と笑みをたたえて口にしました。もう一方の祖母の好きな言葉は「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」だったそうです。彼女たちの言葉の深さは僕の想像の限界を超えているけれど、そこに人の生きる真実があるような気はします。とりわけ、あの昭和を生き抜いた世代の人にとっては。

ただ、僕の祖母たちが語った「辛さ」や「苦しさ」と、今の若者が抱えている「息苦しさ」は、質の異なるものでしょう。あの頃は、希望があったから、辛さや苦しさにも耐えようとすることができたのではないでしょうか。でも、いま、この国で生きていても、なかなか未来に希望を感じることはできない。

平成になり、二十一世紀を迎えて、十余年が経ちました。ネットは、スマホという力を得て、相変わらずの爆速で進化し続けています。ウェブがこの国の空気を変えるのではないかと期待されてから、十年くらいが経ちます。僕はその時代の空気を吸った一人でした。でも、結局のところ、日本語圏のインターネットは、今のところたいした変化は起こっていないように感じられます。むしろ、失望の分だけ、悪化した気さえする。

それがどこまで影響しているのかは定かでないけれど、「息苦しさ」や「閉塞感」といった表現を、今の若い人は好まないように感じます。そういう直接的な言葉は、正視するにはドギつ過ぎるのかもしれない。でも、息苦しさに気づかないフリをしていると、後で必ずしっぺ返しがくる。だから、息苦しさがそこに生じているのなら、それを感じ取れる繊細さを大切に扱うべきだと僕は思います。

 

ネガティブな感情の矛先

僕がハッカーの国に移住している間に、世間では、若者が海の向こうの無法地帯へ行こうとする話題が盛んに報道されていました。冗談で口にできる話ではないですし、僕はほとんどニュースを追っておらず、シリアスな事柄を論じる立場にはありません。ただ、「希望の国エクソダス」のストーリーを思い出したことは事実です。おそらく、僕だけではなかったと思います。

鬱屈した空気の充満した時代に、その濃縮されたエキスを一身に引き受ける若者はいつの時代にもいます。ネガティブな感情を抱えた彼ら彼女らが、その行き場を失い、抑えることができなくなった時、ものすごく悲惨な形で捌け口を求めることは、歴史において繰り返されてきた悲劇の一つでしょう。

僕が高校を辞めて自暴自棄になりかけていた頃、とあるアマチュアの地震研究家のウェブサイトを毎日訪問しては、富士山が爆発することを願いつつ、世界の崩壊の訪れを待っていました。世界をリセットできるボタンが目の前にあれば、すぐにでも押したい気分で日々を送っていました。ヤバい奴だったと思います。でも、この世界には、そういうヤバい奴が溢れているし、それは特別におかしなことではない。経験的に、僕はそう思います。表面的には大人しくしてますが、僕の中には今でも狂犬のような危うさが潜んでいるから。

ということを、過去にテレビのゴールデンタイムで語ったことがあります。15分くらいの番組で、1000万人くらいが見てたはずです。でも、ネットの反応を見るかぎり、それについてはほとんど誰も触れなかった。冗談だと思ったのかもしれません。よくあるテレビの話だね、と。僕にはそれが不思議でした。ヤバいことを承知で僕は語りました。でも、肝心なところは素通りされた。あれっ、と思いました。なぜ、このヤバさは素通りされてしまうのだろうか、と。その疑問は、今も胸の内に残っています。

ヤバさを素通りすると、問題の本質を見過ごすことになります。それは、取り返しのつかない暴発を引き寄せます。でも、自らの内に狂犬が眠っていることを忘れなければ、それを躾けておくことはできる。だからこそ、ネガティブな感情に目を背けてはいけない、と僕は思います。それと向き合い、ネガティブさの原因をも自分の血肉として吸収できれば、その力のすべてをポジティブなものとして扱うことができるから。危うい場所に自分がいると感じた時、僕はいつも自分がその境い目にいるのだと言い聞かせてきました。

 

僕がRubyに興奮した理由

前回、5ヶ月くらい前に書いた記事がバズった時、僕はRubyという「力の芽」に出会ったことに興奮していました。バズった理由も、プログラミングの流行と、友人や後輩に伝えたいという僕の感情の昂ぶりとがあわさって、伝染性を持ったんだろうと考えていました。想定外の反響に驚いたけど、「あの記事を読んで力がわいて、プログラミングをはじめた」という声を聞けて嬉しかった。続き(3ヶ月報告)も書かなきゃと考えながら、その頃はコーディングに精一杯で報告できませんでした。すみません。起業のことや技術的なことは追って書くつもりでいますが、この文章を書きはじめているうちに気がついたことがあるので、今日はそれを書きます。

日本人のまつもとゆきひろさん(Matz)が、たった一人で開発したRuby(ルビー)という言語の由来は、Perl(Pearl=真珠)という、多くのハッカーに好まれた言語にあるそうです。パールが6月の誕生石で、ルビーは7月の誕生石だとか。僕は、ルビーの赤い輝きに魅せられ、魔法にかかったように惹きつけられました。その興奮が、ブログの反響を呼んだのだと当時は思っていた。ただ、今になって分かったのは、僕は、Rubyプログラミング言語としての力能だけに興奮していたわけではなかった、ということです。Rubyは僕に、生きるために欠かせない「希望」をもたらしてくれた。

僕は、ヤバい奴だった10代をなんとかくぐり抜けた後、20代には紆余曲折を経て自分の私塾をはじめました。オンラインで、何人かの教え子が学んでくれて、しばらくして仲間とともに会社にして、「21世紀に学びを解き放ち、誰もが道を切り拓ける時代を創造する」という大言壮語を吐いて、そこからはトントン拍子に物事が進んで、我ながら(我々ながら)よくやったなと思うくらいがんばりました。でも、その後、逆のベクトルでトントン拍子に物事が進んで、青春の夢は打ち砕かれた。

よくある話かもしれませんが、本気でやってきたことが頓挫するのは、やはり悲惨です。大言壮語を吐いてた分だけ、ダメージもでかい。6年を経て20代の終わりに会社を畳んだ時、僕は最低1年間は引きこもることに決めました。その間に、途中で死んでもやむなしだと思っていた。精神的にも、身体的にも。それくらいの20代を送れたという感慨もありました。10代の頃を思えば、そこで終わっても人生に対して悔いはなかった。

でも、幸いにも僕は生き延びることができた。10代を、20代を経て、30歳を超えました。若いころに憧れた吉田松陰はとうに処刑され、坂本龍馬もぼちぼち暗殺される頃です。若者って年は過ぎ去り、おっさんだよと自嘲すべき年齢に差し掛かってます。そろそろ大言壮語を吐いてる場合じゃない。でも、それを諦めきれるほど大人になれてもいない。僕がRubyに出会ったのは、そんな中、どう生きるべきかを決めかねている時でした。

ある日、ファイナルファンタジーでクリスタルを見つけた時のように、僕はルビーという宝石に出会った。その輝きを目にした瞬間、僕は直感したんです。この宝石は、黒魔術のように、一人の人間では本来成し得ないことを可能にする力なのだ、と。30歳になった僕は、暗黒の10代を経て、激動の20代を過ぎて、黒魔術師から白魔術師に変わっていたのかもしれません。この世界を癒やし、より良くしていこう。そう思わせてくれる力を持ったRubyを携え、僕は新しい旅路に出ることに決め、このブログを書きはじめました。

 

テクノロジーの力

日本語で生きる人は、テクノロジーの素晴らしさも、恐ろしさも、どちらも深く感じることのできる環境にいます。宮﨑駿が作ったアニメにも、「進撃の巨人」にだって、それは現れています。でも現状は、その環境を十分に活かしきれているとは言いがたい。すると、無力感が生じます。無力感は酸のように心を蝕みます。苛立ちを生み、それが募ると鬱屈した感情を引き起こします。

エネルギーを内に秘めた人は、その分だけ苛立ちを強く感じます。ドス黒い塊が胸の内に溜まっていくでしょう。でも、そういう感情を抱くのは悪いことじゃないんです。人間が、そういう仕組みになっているだけなんだから。自分の内にネガティブな感情が生じることに罪悪感を持ってはいけない、と僕は思います。

必要なのは、その仕組みを理解して、状況を引き受けて、自らの内に秘められた力を正しく使う術を身につけること。でないと、本人を含めて、たくさんの人がダメージを被ることになるから。内なるエネルギーをより良く使う第一歩は、まず、自分がどれだけの可能性を秘めているのかに気づくことです。そのためには、たとえばこんな言葉を浴びるのは良いかもしれない。

 

There are so many opportunities where you can have a huge impact on the world by using the leverage of science and technology. All of you are uniquely positioned, and you should be excited about that. --- Lally Page

 

「科学やテクノロジーを梃子にして、世界に非常に大きなインパクトを与えられる機会がそこらじゅうにころがっている。君たち一人ひとりが個性に応じたそれぞれの機会を追求できる。君たちみんなが、そのことに興奮すべきだ」 ―― Google共同創業者 ラリー・ペイジ

 

どんなに落ちこぼれていて、今がダメで悲惨な状況にあっても、自分の可能性を見捨てさえしなければ、いつでも、どこからでも挽回できます。息苦しい空気の中で生きる日本の若者にとって、自分の可能性を見捨てずに、エネルギーを注ぎ込む焦点をつけてくれるのが、僕はRubyだと思ってます。少なくとも、僕はそう感じてます。日本には、日本語圏には、Rubyを学ぶ環境がかなり整っている。これは、ものすごく幸運なことです。

日本が誇るハッカーDan Kogaiが、伊藤直也さんと語った時にこう言ってました。「Rubyが出たっていうのはすごく大きい。今のところ『日本人は何してる?』ってきたら完璧な反論ができますから」。日本に村上春樹がいてよかったなと思うのと同じくらい、僕はMatzがいてよかったなと思ってる。半年前に直感してから、その考えが揺らいだことはありません。

 

心の声に耳をすませる

今朝、この国の首相が今月末にシリコンバレーに行くというニュースを見ました。それはそれで意味のあることでしょう。でも、Rubyは、ハッカーは、世界を変える第一歩は、権力とは対極の場所から生まれてきたんです。どこから生まれるのか。それは、いつだって、ぱっと見は冴えない個人からです。どんな大いなる変革も、ひとりの個人の内に潜む「想い」からはじまっているんです。その想いを持っているのなら、躊躇してはいけない。僕は30歳からRubyを学びはじめました。僕よりも若い人にはどれだけの可能性があることか。

これまで感じてきた苛立ちも、悔しさも、諦念も、すべては素晴らしい才能の兆候です。それは今ある世界が「なんかおかしいだろう」と感じる純粋な気持ちの現れだから。

 

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of other's opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary. --- Steve Jobs

 

「君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。ドグマにとらわれてはいけない。それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。他人の意見の雑音で、自分の内なる声を掻き消してはいけない。最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。だからそれ以外のことは全て二の次でいい」 ―― Apple共同創業者 スティーブ・ジョブズ

 

その想いがあるのなら、その才能があるのなら、それをきちんとぶつけなきゃいけない。そうでなければ、せっかく君の内に眠る才能や可能性が、悲鳴をあげて君に仕返しにやってくる。偉そうに聞こえたらすみません。でも、これは僕のわずかながらの人生における信念のひとつです。僕の生きる領域は教育ですが、教育とは、こうした、一人ひとりが心の奥底に秘めている可能性を引き出し、解き放つことだと思います。

 

これからやること

教育スタートアップをはじめました。4月3日に登記して、僕は正式にセンセイプレイス株式会社の共同創業者兼CTOになりました。つい先日までスマホもネットも電気も止まりかけのCTOだったんですけど(笑えない)、会社を立ち上げて、しばらくはそういう生活とも離れることができそうなので、安心しています。ちなみに、CEOは僕の十年来の相方です。

やりたいことは、前々回に書いたことの延長にあります。半年間、仲間とともに試行錯誤を重ねました。たくさんの人に支えてもらい、アドバイスをいただき、応援してもらいながら、いろいろ変化はあったけれど、「先生を芯から応援し、教育を変革する」という根本的な軸は一貫しています。

教育を変革するという言葉を、僕は冗談で口にしてるわけではないんです。今までの「教育」という言葉の使い方は間違ってる。その言葉に想いを託してきた人がいるのは知っているけれど、僕はあえて言い切りたい。教育という言葉は、概念は、根底から組み換わる必要があります。なぜなら、「教育」という言葉が錆びついているせいで、若者をはじめ、無用な傷を負う人がそこらじゅうで増え続けているから。

教育という営みは、知識を教えることではないと僕は考えています。そういう時代もありました。今でも、それが必要な場所はあります。ただ、今はインターネットがある。授業なら、動画で見ることもできる。いわゆる「知識」を得ようと思えば得られるわけです。でも、実のところ、こうした環境は昔から存在していました。たとえば、図書館に行けば本はあった。学ぶことのできる環境にある人は、好き勝手に独学していたんです。

インターネットが可能にしたことのひとつは、昔はごく一部の環境に恵まれた人だけが許されていたことを、多くの人に可能たらしめたことです。僕が高校を中退した後に独学で受験した時、インターネットのおかげで乗り切れました。Rubyを独学するのも、ネットがなければ不可能でした。無資本からプロジェクトを立ち上げ、半年で会社設立にこぎつけるなんてことも、ウェブ時代だからこそできることでしょう。

ネットは、僕のような非力な個人が生きていく上で不可欠なツールです。その存在に、僕は幾度となく救われてきた。それに感謝する気持ちは人一倍強いです。でも、ネットは、僕だけではなく、誰もが持っている同一の環境です。一つの町に、一つの図書館があるようなものです。その存在は、とてつもなく大きい。でも、図書館が存在することと、一人の人が図書館に行こうとしたり、そこで出会うべき本に出会ったりすることとは、別の次元の話です。

本やインターネットは、僕にとって不可欠な存在でした。それなくして、僕がここまで歩いてくることは絶対にできなかった。でも、最初の一歩を踏み出させてくれたのは、本ではない。ネットでもない。何の変哲もない話だけれど、それは、人です。人との出会いが、僕に情熱を灯し、一歩を踏み出す勇気を与えてくれた。

僕は、出会うべき時に、出会うべき人と出会ってきました。そうした人たちとの出会いによって、ここまで進んでくることができた。感謝してもしきれません。教育において、最も大事なことのひとつは、そうした一歩を踏み出させてくれる「先生」との出会いではないでしょうか。単語を覚えることより、公式を暗記することより、根本的なことのはずです。

ただ、過去において、そうした出会いは、一部の恵まれた環境を持つ人を除いて、偶然と幸運に頼るしかなかった。でも、今ならあるんです。ネットとスマホの普及が、それを可能にした。時間も距離も超えて、出会うべき人に出会うことが可能になった。教育におけるテクノロジーは、そのためにこそ使う価値があると僕は考えています。

誰もが、出会うべき人に出会う場所をつくる。そこを起点に、一人ひとりが自ら学んでいける環境をつくる。それが僕らがやろうとしていることです。こうした「学びの環境」は知識を教えこむだけの教育とは根本的に違う、あたらしい教育の在り方です。それがどんな形になるのかは、僕には、まだはっきりとは分からない。これから一緒にやってくれる人たちと共に考え、作っていければいいと思う。ただ、その中心となるのは間違いなく、より良い教育への情熱を抱き、身をかけた「先生」たちです。

僕はセンセイプレイスを「教育×テクノロジー」、すなわち「EdTech」の本命たるサービスだと思っています。日本を出発点として、世界へ貢献できるプラットフォームになると思っています。単なる標語ではありません。歴史を振り返って、これが次の世代に必要な考え方や枠組みのひとつだろうという確信があるから、僕はここまで言い切ることができる。

 

「教育」という言葉の由来

福沢諭吉という人がいました。今では一万円札の肖像画に使われていることで知られていて、次が慶應義塾の創設者というあたりでしょうか。僕は一万円札を見るたびに(そんなに見ないけど)、「俺は紙幣に刷られるために生きたわけじゃないよ」と笑ってる気がします。あるいは、日本人の無意識が、贖罪のように、福沢諭吉を懐に忍ばせることを強いているのではないかと感じることもあります。

明治以前、「教育」という言葉は存在していませんでした。Educationの訳語として作られた言葉です。福沢は、初代文部大臣森有礼が「教育」という言葉を定着させようとした時、烈火のごとく怒って反対しました。教育とは、外から型にはめるように教えこむことではなく、内なるものを育てることである、というのが言い分でした。福沢は自ら「発育」という訳語を考え、提唱までした。でも、これは定着しなかった。

時代を考えれば当然のことです。あの頃は、森有礼の考えで進むしかなかった。富国強兵への道がやがて引き起こした惨禍を考慮しても、時代の大きなうねりの中で、福沢諭吉の考えは理想的に過ぎたと思います。でも、時代は変わりました。現代には、「仕方ない」ですませなくていい条件が整っている。もう、上からの富国強兵はいらない。人を型にはめるシステムもいらない。

 

教育をハックしよう

ところで、福沢諭吉の理想はどこから来たのでしょうか。それを遡ってみるのは興味深い歴史探訪ですが、今日のところは、その源流の一つを僕なりに指摘するに留めて、この論を閉じたいと思います。

ご承知の通り、福沢諭吉は「西洋事情」や「学問のすすめ」の著者です。「学問のすすめ」初編の有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という書き出しは、アメリカ独立宣言の引用です。また、日本初のアメリカ独立宣言の翻訳は「西洋事情」に収められています。福沢諭吉はアメリカの本質に憧れを抱いていた、と僕は思います。

アメリカの本質とは何でしょうか。ポール・グレアムは、こう言ってます。「ハッカーたちは、私の知るどんな集団よりも、米国的なものを内包している」「たぶん政府の閣僚たちよりも」。そして、「私たちの国を築いた人々が、国を率いる人々について語った言葉は、むしろハッカーに似ている」と語った後に、こう続けます。

 

「ジェファーソンはこう書いている。『政府への反抗の精神は、ある種の状況では非常に価値のあるものだ。だから私は、そのような精神が常に保たれることを望む』。

 

今日のアメリカ大統領がそういうことを言うと想像できるかい。年老いたおばあさんの忠告のように、国の創始者たちの言葉を聞いて、自信のない後継者たちは自らを恥じてきた。これらの言葉は、私たちがどこから来たのかを思い出させる。ルールを破る人々が、アメリカの富と力の源であるということを」

 

僕らがこれからやろうとしていることは、すなわち、教育のハックです。福沢諭吉ですらハックすることのできなかった教育。この国のシステムの根幹です。僕は、その根幹をハックしたい。ハックとは、壊すことではありません。そういう用法もあるけれど、ハックの本質は「良い物を創る」ことであり、システムが老朽化したり腐敗したりしている時に「より良く作り変える」ことです。

福沢諭吉が憧れたアメリカの本質、すなわち独立宣言の精髄は「生命、自由、幸福の追求」です。これは単なるアメリカ的なマインドではありません。人類の知恵の結晶であり、本物の血が流された戦いの果てに民衆が勝ち取ったものです。日本国憲法にも同じ言葉が書かれてます。そうした歴史をこそ、いま、僕らは思い出す必要があるのではないでしょうか。

教育をハックしましょう。それをするのは、他でもなく、今の社会に苛立ちを覚えている人です。現行のルールの中でうまく収まりきれずに、息苦しさを抱えている人。無力感や鬱屈した感情を抱え、そのやり場を持たない人。Rubyの力を借りながら、今の社会のあり方に疑問を抱いている一人ひとりの個人が、力を合わせることによって、教育のハックは成し遂げられると僕は信じています。

 

力を貸してください!

こんな筆圧高めの文章を、ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。さぞお疲れだと思いますが、最後に、もしよろしければ、この実現のために力を貸してください。いま僕たちが助けを必要としているのは、以下の5つです。とりわけ1の「デザイン」は喫緊の課題で、Wantedlyでも募集の告知を行っています。

  1. (美術1ばかりだった僕が担当している)現在のどうしようもないデザインを何とかしてくれる情熱的デザイナー(インターン生可)
  2. 僕の師匠になってくださる、あるいは、技術的指導をしてくださるスーパープログラマー
  3. センセイプレイスで身をかけて指導にあたる「先生」(学生・社会人可)
  4. センセイプレイスという新しいオンライン教育サービスの「無料モニター指導(x2回)」を受けてくれる「生徒」(大学受験生、高校生、中学生)
  5. その他、「こういう形で力になれるかも」と考えてくださるアイデアと行動力のある方

なお、言うまでもないと思いますが、お金にはさほど恵まれている環境ではないので、そこには過度に期待しないでいただければ幸いです。

それから、僕が昨年から個人的に主宰している「Crazy Learners」という活動があります。二年目の今年は、新たに梅田望夫さんの著書の輪読を中心とした研究会をはじめます。『ウェブ時代をゆく』と、今回もいくつか引用した『ウェブ時代 5つの定理』の二冊が課題文献です。興味のある方はCrazy Learnersのウェブサイトをご覧ください。

以上、久しぶりに長文で大言壮語しましたが、書くべきことを書き上げてほっとしたので、またコーディングの日々に戻ります。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

馬場祐平

 

 

言及したウェブサイト

www.wantedly.com

 

言及した書籍 

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

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 (ポール・グレアムのエッセイ ウェブ上の無料翻訳一覧

 

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

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  • 作者: ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン,黒沢 健二,松永 肇一,美谷 広海,祐佳 ヤング
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/11
  • メディア: 単行本
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小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)

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希望の国のエクソダス (文春文庫)

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学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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