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30ruby記

30歳からはじめたRubyプログラミングと教育Startupの記録。

4人目のチームメンバー(プログラマ)を迎え入れるために、僕らが準備した学習環境について

World-changing things always start small. The ideal project is one where people don't have meetings, they have lunch. The size of the team should be the size of the lunch table.

──Bill Joy

 

世界を変えるものも、常に小さく始まる。理想のプロジェクトチームは、会議もせず、ランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ。── ビル・ジョイ

 

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2015年4月、僕らは3人からなるチームで会社を設立し、サービスをリリースしました。共感してくれた20名弱の「先生」は、これまでの教育サービスとは根本的に異なる指導をはじめています。それを直感した「生徒」の感想は、レビューや「体験者の声」として載っています。これはその抜粋です。

 

「その場しのぎではないアドバイスをくれた。勉強をやみくもにやるような方法ではなく、根本的に大事なことを教えてくれていると思う」 (高校3年生 女子)

 

「こういった指導は今まで受けたことがない。勉強の方法を深く考えたり教えてもらったこと自体がこれまでなかったので、教えてもらったことを早速活かして頑張ります。」 (高校3年生 女子)

 

もちろん、僕らのサービスは至らぬ点だらけで、それは日々痛感してます。激しく反省することも少なくない。一方で僕らは、このサービスの可能性を、他の誰よりも実感しています。教育を、世界を、変えることのできる可能性に胸を熱くしている。こんな興奮は、生きている間にそう何度も感じられるものじゃない。

「センセイプレイス」と名づけた僕らのスタートアップは、今は吹けば飛ぶようなボロ船です。でも、擦り切れた宝の地図を信じて、遙かなる目的地へと出港しました。

現在、この船の4人目の乗組員になってくれるプログラマを募集しています。要件は、センセイプレイスの掲げるビジョンに情熱を抱けること。大変なことばかりが起こる航海を、互いに信頼して、どんな荒波をも協力して、楽しみながら乗り越えていこうという意志と人間力を備えていること。

現時点でのスキルは、最低限あれば、問いません。僕だって大したことないから。Railsを開発している37signalsの人たちが語るように、最低限の知識や経験さえあれば、そこから先は「本人の熱意や個性、知性」による差の方が大きいと思う。年齢や経歴も不問です。

プログラミングを学びはじめて7ヶ月が経ちましたが、その間にもたくさんの若者がプログラミングの世界に跳び込んだのを見聞きしました。この勢いは凄くて、時代のうねりを感じます。ただ、僕の経験上、独学にせよスクール(こことか)を活用するにせよ、基本的な事柄を速習した後は、その人に合った実践的な学習環境を持つことが重要です。

その環境を、僕らは準備しました。スクールと違って料金はかからず、仕事としての報酬が出ます。ギリギリのミニマムだけど、それでも、若者にとっては十分だと思う。僕らは自分たちの抱いたビジョンだけを信じて、半年以上の間、ずっと無給で走ってきました。 

最高の学習環境を準備しました

僕らが考えうるかぎりで最高の学習環境を準備しました。イケてる人を採用したいし、そうした人であればあるほど、その環境で成長できるか否かに対してシビアだと思うから。

そうした人にとって、大事なのは会社の人気や知名度ではない。オフィスや社食の豪華さでもない。報酬が高いに越したことはないけれど、それを気にしないでいられる間は、食べていけさえすれば十分のはずです。これは、そうした前提で僕らが考えた「プログラマとして成長できる最高の学習環境の8要件」です。

1,没頭できる

雑務が多かったり、細切れの時間ばかりで集中ができない環境では、コードを書く気が起こらない。僕らはプログラマがプログラミングに没頭できる環境を大切にしたいと考えており、リモートワークも可能です。

2,莫大な時間を投入できる

先に書いた通り、スタートアップ的なミニマムだけれど、報酬を準備しました。若い人なら食べていくのには十分のはずで、他のことを気にせずコーディングと学習に膨大な時間を投入し、プログラミング中心の生活を送れます。

3,ライバルがいる

僕がいます。僕より先を行ってる人なら、僕の追い上げを背中で感じてください。僕より後ろにいるようなら、僕の背中を目指してください。抜きつ抜かれつのデッドヒートをやりながら、お互いの限界を越えていきましょう。

4,師匠がいる

これまで僕は独学で学んできました。でも、スケールするサービスを作る以上、これまでのペースでは遅すぎる。そう考えて「師」を探した結果、オープンソースにもコミットしている本物のプログラマが、ハンズオンで指導してくれる体制ができました。

5,好きな人と働ける

日々、一緒に働く人たちを「好き」になれるか否かは、モチベーションや幸福感を左右します。この点、僕にとっては、好きな人たちと働ける最高の環境です。いちばんの問題は、おそらく他の2人ではなく、僕がわりと厄介なんじゃないかという、、、笑

6,ユーザーに感動してもらえる

僕らのサービスは、目指す理想を100点とすれば、まだ5点もつけられないようなクオリティです。それでも、感動してもらえている。ユーザーが心底感動してくれるという事実ほど、プロダクトの作り手としてやりがいを感じることはありません。 

7,作りたいサービス/プロダクトがある

自分が作りたいと思えて、やりがいを感じられるからこそ、そのサービス/プロダクトにフルコミットしようと思うし、弛まぬ改善へと向けた努力を重ねられる。困難なことでも、それにチャレンジして、より良くしていく過程に喜びを感じられます。

8,世界を変えられる

世界は、ある日急に変わるわけではありません。ユーザーの感動が、ミニマムな世界の変革だと思う。それを実感できるからこそ、僕らは自身のプロダクトに自己満足ではない誇りを抱ける。その果てには、きっと、インパクトのある形で世界を変えられる。そう信じられるからこそ、そのサービスの開発に熱中することができる。

 

以上の条件を満たす環境が、センセイプレイスにはあります。実のところ、この環境は、4人目のメンバーのために準備したわけではありません。僕自身がプログラミングする上での最高の環境を作りたいと考えた結果、こうなりました。作ってみたら、そこに一名分のスペースが生まれた。この募集は、そのスペースの「おすそわけ」みたいなものだと思っています。

この開発環境には、技術的にものすごく困難なものは多くありません(ちょいちょいあるので、師匠の助けを借りつつ段階的に進めましょう)。でも、テクニカルなことよりも根源的に大事なことを満たせるか否かが、成長する上でも、生きていく上でも、僕は大事だと思う。

そう考えて準備したこの学習環境で、共にセンセイプレイスのために身を懸けて(賭けて)くれる方を探しています。いろいろな準備ができてきたので、この4人目の人がチームに加わった瞬間から、僕らのサービスは一気に加速していくと思っています。そのためにも、知り合いによさそうな人がいたら、ぜひ話してみてください。もしよければ、Wantedlyでの募集要項の応援・シェアをしていただけると、たいへん嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします!

 

 

2015年6月7日 追記

okutaku.hatenablog.com

教育をハックしよう Let's Hack the Education

 プログラミング経験ゼロから半年間、必死に独学して、サービスをリリースしました。会社も設立しました。以下、それを経て僕が感じたことの報告です。文章がいつも通り(いつも以上に)長くてすみません。前回、訳もわからないままバズった記事の続きです。

 

30ruby.hatenablog.com

 

半年間、Rubyを本気で独学した結果。

人は、独学でも、プログラマーになれます。なれました。Rubyは、いまテクノロジーに興味のある日本人が学ぶべき言語で間違いないです。たった一人でサービスを開発して、それを軸にチームや会社が立ち上がっていくなんて、かつては考えられなかった。今この世界で何かを成し遂げたい人にとって、「Ruby」を身につけることは、そのための強力な武器を手に入れるに等しい。

前回のタイトルに「文系向け」って言葉をつけました。その意図は、こういうことです。世の中には「想い」を持った人がたくさんいる。でも、想いを持った人は往々にして、テクノロジーが弱い。だから、想いが形にならない。そのせいで、うまく立ち上がらなかったり、あるいは、立ち上げてもつまらないモデルになってしまう。そんなんじゃ、仲間もユーザーも集まりません。良いアイデアにも、もちろんお金にも結びつかない。

本当にインパクトを出したいのであれば、その想いを持った張本人がテクノロジーを学ぶべきなんです。尻込みしてはいけない。テクノロジーを学ぶことこそ、現代社会でインパクトある何事かを成し遂げるための最短ルートです。そのためのベストな道のひとつが、「Ruby」であることは間違いない。ありがたいことに、それを高速に走らせてくれる「レール」(Ruby on Rails)まで整備されているんです。

では、どうすればRubyというプログラミング言語を身につけることができるのか。半年間を経て、僕がたどり着いた結論を書きます。簡単です。プログラミング言語を身につける一番の方法、それは、英語を身につける方法と同じです。

英語をマスターした人や高速で習得している人は、夢の中でも英語を話します。同様に、プログラミングを最も早く修得する方法は、夢の中でもコードを書くように生きることです。すなわち、プログラミングを「生活」にすること。実際、僕は夢の中でも頻繁にコードを書くようになりました。最初はびっくりしましたが、今では日常茶飯事です。

プログラミングを生活にするとは、「プログラマーの世界」で生きることです。比喩ではないです。画家が常人とは異なる仕方で世界を眺めるように、あるいは、Googleグラスをかけた視界に膨大な情報が流れ込んでくるように、プログラマーは独特な「技術者の眼」で世界を眺めています。プログラマーになるとは、その「眼」を獲得することに等しい。

プログラミング言語を学ぶと、思考の方法が変わるために、自分の脳の構造が組み変わったように感じます。考えてみれば、これは自然なことです。言語の本質とは、思考の仕方であり、世界の感じ方だからです。プログラミング言語は紛れもない言語であり、習熟するにつれて、これまで経験したことのない思考の仕方、世界の感じ方が身につきます。

このような根本的な変化を、これまでの生き方の延長線上で遂げるのは不可能です。半年間、僕なりにプログラムを学んで感じたのは、本物のプログラマーとなるためには、それまで暮らしていた住み慣れた土地を離れ、プログラマー中のプログラマーである「ハッカー」達が暮らす国へと、身も心も移住する以外に道はないんだなぁ、ということです。

問題は、それを理屈で分かってもハッカー達が暮らす国へと移住できるわけではない、という点にあります。英語がネイティブの国に行けば英語ができるようになると分かっていても、様々な理由でほとんどのが移住できない/しないのに似ています。コードを書きたい、ハッカーになれればいいな、と考えている人は少なくないはずです。でも、まだ「学ぶ道」が十分に舗装されていないプログラミングの世界は、英語を学ぶ以上に深い溝が横たわっていて、一歩を踏み出すことがとてつもなく難しい。

幸いにも、僕は「はじめの一歩」を踏み出すことができました。まだ移住して半年の新人です。この世界で5年、10年、20年と生きている大先輩たちにまったく敵わないのは日々痛感してます。(この道10年の方に「半年で追いつけるよう頑張ります!」と言った時、不敵な笑みで「がんばれよ!」と返された意味が最近になって身に染みてます)。だから、こんな大それた文章だって、びくびくしながら書いてるわけです。それでも、今日は、言い切ります。

テクノロジーの世界も、英語と同様、はじめの一歩さえ踏み出せれば、その先はさほど難しくはない。Railsを開発している37signalsの人たちも、僕の誤解でなければそう言ってます。「半年から1年の経験がある人を雇うのは確かに意味がある。(中略)。だがその後、成長曲線は平らになる。驚くべきことに半年の経験と6年の経験は大差ない。本当の差は、応募者自身の熱意や個性、知性に現れる」。

もちろん細かな差はあるでしょう。プロにとっては、その差が生命線のはずです。でも、英語における日常会話もできないような駆け出しプログラマーにとって、それは誤差にすぎない。大事なのは、まず一歩を踏み出し、その世界に飛び込むこと。ハッカーの国へ移住してしまえば、そこから先は自分なりのやり方で習熟していけるのだから。

なぜ僕がハッカーの住まう国へと移住できたのか。答えは単純です。僕は、心の底からハッカーに憧れました。そうした生き方をしたいと思った。この国の昔の若者が、海の向こうの発達した文明に憧れた気持ちと同じです。あるいは、少年がプロのスポーツ選手に憧れる気持ちとも重なるでしょう。その憧れが、リスペクトが、僕をここまで連れてきた。

僕の努力や根性や能力も、ほんのすこしは関係しているでしょう。でも、それは本質的な問題ではないんです。大事なのは、憧れの世界へと一歩を踏み出す勇気、それだけです。その一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのは、先人たる過去のハッカー達が築き上げてきた文化や遺産でした。それが僕を虜にして、ハッカーの世界へと誘ってくれた。

今の僕には、本物のハッカーが活躍するオープンソースの世界に貢献する力はありません。いつかそうしたことができればいいなと思っているけれど、今はまったくもって無理です。でも、僕がこの世界に踏み入れて感動したことを、まだその世界を知らない人に伝えることはできる。僕のスパゲティ・コードはお見せできる代物ではないけれど、日本語の文章というコードなら、それをオープンにすることで、何がしかの貢献を成しうるかもしれない。そう考えて、新人なりのハッカー界へのContributionのつもりでこれを書いてます。

僕がプログラミングを独学したのには、いろいろ理由があるけれど、突き詰めれば「意地」です。プログラミングを学ぶ場や機会は、たくさんありました。天才ハッカーと呼ばれる方々と出会い、楽しくおしゃべりする僥倖にも恵まれました。でも、僕は彼らにプログラミングを学ぶことは控えました。その方が速くて楽なのは知っていたけど、通ってはいけない道に思えた。

なぜなら、僕が憧れるハッカーは皆、独学でプログラミングをはじめていたからです。彼らは好きで学んだ結果としてハッカーになったのであって、ハッカーになるという結果だけを求めてプロセスをすっ飛ばしたわけではない。それが学び方の整備された学校でハッカーが生まれない理由です。正しいかはわからないけれど、僕はそれがハッカーの流儀だと捉え、それに倣いました。

僕は独学が嫌いじゃないし、得意でもあります。ただ、その分だけ、独学の難しさや限界も知っています。だから、このあたりでプログラミングの独学は終えるつもりです。最初の一歩は踏み出せたから、ここから先は意地を張らずに、先達に教えを請いながら学びを深めていきたい。遠からず「レール」からも降りて、より広く深くテクノロジーの世界を探索したい。

半年前には、それができるかどうかすら分からなかった。地図もコンパスもない暗闇でした。でも、一歩踏み出して半年間やった結果、この先どうすればいいのか、おぼろげながらも見えてきた。同時に、テクノロジーの世界は、突き詰めると限りがないということを、本物のハッカーは生き様で教えてくれます。僕は、この青天井の世界を、少なくとも僕の30代を賭して駆け登っていくことを、そこから見える景色を、心から楽しみにしています。

この文章は、十数年前の僕のような、どうやって生きようか思いあぐねている若い人に届くといいなと思って書いてます。あるいは、僕が散々テクノロジーの素晴らしさを説いても尻込みする、僕の周りの誰か宛かもしれません。笑 いずれにせよ、その世界へと興味を持ちながら、飛び込みきれないでいる「誰か」の心に情熱を灯すといい。

迷っているなら、プログラミングをはじめましょう。言語で悩むなら、Ruby(on Rails)で間違いないです。僕が保証します。今こそ一歩を踏み出すべき時です、なんて言われて素直に踏み出せないのは僕もよく知ってます。人は誰かに勧められてハッカーになるわけではない。だとしても、後押しが役立つ時もあります。僕は教育者の端くれを自負しているので、おせっかいを承知で伝えたい。もし君にその才能があると感じるのなら、ハッカーへの一歩を踏み出すのは最高だよ、と。

ハッカーになるための秘訣について、世界で最も有名なハッカーの一人であるポール・グレアムはこう言ってます。

「良いハッカーになる鍵は、たぶん、自分がやりたいことをやることだ。私が知っている素晴らしいハッカーを考えてみると、彼らに共通することのひとつは、彼らが自分から望まないことをやらせるのは極めて難しいだろうということだ。これが原因なのか、結果なのかは定かではない。もしかすると両方かもしれない。

 

何かをうまくやるためには、それを愛していなければならない。ハッキングがあなたがやりたくてたまらないことである限りは、それがうまくできるようになる可能性が高いだろう。14歳の時に感じた、プログラミングに対するセンス・オブ・ワンダーを忘れないようにしよう。今の仕事で脳味噌が腐っていってるんじゃないかと心配しているとしたら、たぶん腐っているよ」

 

  (ポール・グレアムハッカーと画家』 第16章 素晴らしきハッカー

 

僕がプログラミングに対するセンス・オブ・ワンダーを感じたのは、ずいぶん遅くて、30歳を過ぎてからでした。ハッカーとして生きはじめるには、手遅れな年齢かもしれない。でも、取り返しのつかないような遅れではない。そう信じて、この半年間やってみて、何も言うことはありません。

学び続ける限り、いつでも、いくつになっても、想像を超えた世界が僕を待っている。そうした世界を歩み続けることそれ自体が、僕の生きがいだ。そのことを、プログラミングを通して、Rubyを通じて、あらためて実感できました。センス・オブ・ワンダーを胸に抱きながら、これからも、たゆまず学び続けていきます。

これまで僕は「愛すること」だけをしてきました。これからも「やりたくてたまらないこと」だけをしていくのでしょう。わがままですみません。でも、愛すること、やりたくてたまらないことを続けるために必要なことなら、険しい道でも厭わず歩んできたつもりです。ヒマラヤの絶壁をよじ登るみたいな芸当もやってきました。実際、一人でコーディングするのって、わりかし大変なんですよ。好きじゃなければ、やってられない。

幸いなことに、進歩の早いテクノロジーの世界は、大変だけれど、学ぶことの好きな人間にとっては、ディズニーを超えたワンダーランドです。その世界のとば口に立ち、勇気を持って一歩を踏み出した時、目に飛び込んでくる景色は、登山家が見る絶景に似ています。学びが青天井であるのと同じだけ、達成できる物事の可能性もまた果てしない。それは、これ以上ないくらいワクワクする世界です。愛すること、やりたくてたまらないことが、かぎりなく広がっている世界なんですから。

そうした世界を生きるコツは、僕なりにこう表現できます。学びとは、結果ではなくプロセスです。目的やゴールに固執してはいけない。生きることと同じです。ゴールは果てしない。だから、手にした結果にこだわりすぎてはいけない。大切なのは、目的地を北極星のように目指し、その道中での達成に一喜一憂しながらも、なにより、日々の「今ここ」を流れる時間を愛おしみ、慈しむこと。その時間の流れ方それ自体を、丁寧に味わうことです。

そうした時を重ねた果てに、僕はいつか夢見たものになれるでしょう。この文脈で言えば、ハッカーに。でも、そこに辿りついた暁には、今の想像を超えた何者かになっているはずです。正しいかどうかは分かりませんけど、僕はここまで書いてきたことを信じて、これを投稿したら、再びコードを書く日常へと戻ります。

以上が、僕がこの半年間で学んだことです。これからプログラミングを学ぼうとしている人に、少しでも役立てば幸いです。


というところまでが、前編です。後編はさらに長くてポエムですが、僕にとってはここまでが前フリで、ここからが本編となります。では、続けます。


十年くらい前に僕らが議論していたこと

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」

この一節を覚えてますか。二十一世紀の幕開けに、日本を象徴する言葉と喧伝されたフレーズです。ひょっとすると、若い人は聞いたことすらないかもしれない。村上龍が書いた「希望の国エクソダス」という小説の中で、主人公の少年が国会で語るセリフです。大学時代、僕はこうしたトピックを仲間たちとよく議論していました。

この国で生きていると、なんだか息苦しい。しばらく前のことですが、僕がそれをいくら語っても関心を持たなかった妹が、オーストラリアにしばらく行って帰国するなり、「日本の息苦しさ」をまくし立てていたのが忘れられません。彼女は彼女なりに、今はこの国で結婚して、あたらしい人生に向かってがんばってます。でも、心の奥底ではあの時に気がついた息苦しさを抱え続けているでしょう。おそらく、僕の妹だけではない。多かれ少なかれ、誰もが息苦しさを引き受けて生きている。

こうした現実を生きる中で、「息苦しさ」をいちいち言挙げするのは大人げないのかもしれません。夫にも子にも先立たれた僕の祖母は「人生なんて辛いことばかりだよ」と笑みをたたえて口にしました。もう一方の祖母の好きな言葉は「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」だったそうです。彼女たちの言葉の深さは僕の想像の限界を超えているけれど、そこに人の生きる真実があるような気はします。とりわけ、あの昭和を生き抜いた世代の人にとっては。

ただ、僕の祖母たちが語った「辛さ」や「苦しさ」と、今の若者が抱えている「息苦しさ」は、質の異なるものでしょう。あの頃は、希望があったから、辛さや苦しさにも耐えようとすることができたのではないでしょうか。でも、いま、この国で生きていても、なかなか未来に希望を感じることはできない。

平成になり、二十一世紀を迎えて、十余年が経ちました。ネットは、スマホという力を得て、相変わらずの爆速で進化し続けています。ウェブがこの国の空気を変えるのではないかと期待されてから、十年くらいが経ちます。僕はその時代の空気を吸った一人でした。でも、結局のところ、日本語圏のインターネットは、今のところたいした変化は起こっていないように感じられます。むしろ、失望の分だけ、悪化した気さえする。

それがどこまで影響しているのかは定かでないけれど、「息苦しさ」や「閉塞感」といった表現を、今の若い人は好まないように感じます。そういう直接的な言葉は、正視するにはドギつ過ぎるのかもしれない。でも、息苦しさに気づかないフリをしていると、後で必ずしっぺ返しがくる。だから、息苦しさがそこに生じているのなら、それを感じ取れる繊細さを大切に扱うべきだと僕は思います。

 

ネガティブな感情の矛先

僕がハッカーの国に移住している間に、世間では、若者が海の向こうの無法地帯へ行こうとする話題が盛んに報道されていました。冗談で口にできる話ではないですし、僕はほとんどニュースを追っておらず、シリアスな事柄を論じる立場にはありません。ただ、「希望の国エクソダス」のストーリーを思い出したことは事実です。おそらく、僕だけではなかったと思います。

鬱屈した空気の充満した時代に、その濃縮されたエキスを一身に引き受ける若者はいつの時代にもいます。ネガティブな感情を抱えた彼ら彼女らが、その行き場を失い、抑えることができなくなった時、ものすごく悲惨な形で捌け口を求めることは、歴史において繰り返されてきた悲劇の一つでしょう。

僕が高校を辞めて自暴自棄になりかけていた頃、とあるアマチュアの地震研究家のウェブサイトを毎日訪問しては、富士山が爆発することを願いつつ、世界の崩壊の訪れを待っていました。世界をリセットできるボタンが目の前にあれば、すぐにでも押したい気分で日々を送っていました。ヤバい奴だったと思います。でも、この世界には、そういうヤバい奴が溢れているし、それは特別におかしなことではない。経験的に、僕はそう思います。表面的には大人しくしてますが、僕の中には今でも狂犬のような危うさが潜んでいるから。

ということを、過去にテレビのゴールデンタイムで語ったことがあります。15分くらいの番組で、1000万人くらいが見てたはずです。でも、ネットの反応を見るかぎり、それについてはほとんど誰も触れなかった。冗談だと思ったのかもしれません。よくあるテレビの話だね、と。僕にはそれが不思議でした。ヤバいことを承知で僕は語りました。でも、肝心なところは素通りされた。あれっ、と思いました。なぜ、このヤバさは素通りされてしまうのだろうか、と。その疑問は、今も胸の内に残っています。

ヤバさを素通りすると、問題の本質を見過ごすことになります。それは、取り返しのつかない暴発を引き寄せます。でも、自らの内に狂犬が眠っていることを忘れなければ、それを躾けておくことはできる。だからこそ、ネガティブな感情に目を背けてはいけない、と僕は思います。それと向き合い、ネガティブさの原因をも自分の血肉として吸収できれば、その力のすべてをポジティブなものとして扱うことができるから。危うい場所に自分がいると感じた時、僕はいつも自分がその境い目にいるのだと言い聞かせてきました。

 

僕がRubyに興奮した理由

前回、5ヶ月くらい前に書いた記事がバズった時、僕はRubyという「力の芽」に出会ったことに興奮していました。バズった理由も、プログラミングの流行と、友人や後輩に伝えたいという僕の感情の昂ぶりとがあわさって、伝染性を持ったんだろうと考えていました。想定外の反響に驚いたけど、「あの記事を読んで力がわいて、プログラミングをはじめた」という声を聞けて嬉しかった。続き(3ヶ月報告)も書かなきゃと考えながら、その頃はコーディングに精一杯で報告できませんでした。すみません。起業のことや技術的なことは追って書くつもりでいますが、この文章を書きはじめているうちに気がついたことがあるので、今日はそれを書きます。

日本人のまつもとゆきひろさん(Matz)が、たった一人で開発したRuby(ルビー)という言語の由来は、Perl(Pearl=真珠)という、多くのハッカーに好まれた言語にあるそうです。パールが6月の誕生石で、ルビーは7月の誕生石だとか。僕は、ルビーの赤い輝きに魅せられ、魔法にかかったように惹きつけられました。その興奮が、ブログの反響を呼んだのだと当時は思っていた。ただ、今になって分かったのは、僕は、Rubyプログラミング言語としての力能だけに興奮していたわけではなかった、ということです。Rubyは僕に、生きるために欠かせない「希望」をもたらしてくれた。

僕は、ヤバい奴だった10代をなんとかくぐり抜けた後、20代には紆余曲折を経て自分の私塾をはじめました。オンラインで、何人かの教え子が学んでくれて、しばらくして仲間とともに会社にして、「21世紀に学びを解き放ち、誰もが道を切り拓ける時代を創造する」という大言壮語を吐いて、そこからはトントン拍子に物事が進んで、我ながら(我々ながら)よくやったなと思うくらいがんばりました。でも、その後、逆のベクトルでトントン拍子に物事が進んで、青春の夢は打ち砕かれた。

よくある話かもしれませんが、本気でやってきたことが頓挫するのは、やはり悲惨です。大言壮語を吐いてた分だけ、ダメージもでかい。6年を経て20代の終わりに会社を畳んだ時、僕は最低1年間は引きこもることに決めました。その間に、途中で死んでもやむなしだと思っていた。精神的にも、身体的にも。それくらいの20代を送れたという感慨もありました。10代の頃を思えば、そこで終わっても人生に対して悔いはなかった。

でも、幸いにも僕は生き延びることができた。10代を、20代を経て、30歳を超えました。若いころに憧れた吉田松陰はとうに処刑され、坂本龍馬もぼちぼち暗殺される頃です。若者って年は過ぎ去り、おっさんだよと自嘲すべき年齢に差し掛かってます。そろそろ大言壮語を吐いてる場合じゃない。でも、それを諦めきれるほど大人になれてもいない。僕がRubyに出会ったのは、そんな中、どう生きるべきかを決めかねている時でした。

ある日、ファイナルファンタジーでクリスタルを見つけた時のように、僕はルビーという宝石に出会った。その輝きを目にした瞬間、僕は直感したんです。この宝石は、黒魔術のように、一人の人間では本来成し得ないことを可能にする力なのだ、と。30歳になった僕は、暗黒の10代を経て、激動の20代を過ぎて、黒魔術師から白魔術師に変わっていたのかもしれません。この世界を癒やし、より良くしていこう。そう思わせてくれる力を持ったRubyを携え、僕は新しい旅路に出ることに決め、このブログを書きはじめました。

 

テクノロジーの力

日本語で生きる人は、テクノロジーの素晴らしさも、恐ろしさも、どちらも深く感じることのできる環境にいます。宮﨑駿が作ったアニメにも、「進撃の巨人」にだって、それは現れています。でも現状は、その環境を十分に活かしきれているとは言いがたい。すると、無力感が生じます。無力感は酸のように心を蝕みます。苛立ちを生み、それが募ると鬱屈した感情を引き起こします。

エネルギーを内に秘めた人は、その分だけ苛立ちを強く感じます。ドス黒い塊が胸の内に溜まっていくでしょう。でも、そういう感情を抱くのは悪いことじゃないんです。人間が、そういう仕組みになっているだけなんだから。自分の内にネガティブな感情が生じることに罪悪感を持ってはいけない、と僕は思います。

必要なのは、その仕組みを理解して、状況を引き受けて、自らの内に秘められた力を正しく使う術を身につけること。でないと、本人を含めて、たくさんの人がダメージを被ることになるから。内なるエネルギーをより良く使う第一歩は、まず、自分がどれだけの可能性を秘めているのかに気づくことです。そのためには、たとえばこんな言葉を浴びるのは良いかもしれない。

 

There are so many opportunities where you can have a huge impact on the world by using the leverage of science and technology. All of you are uniquely positioned, and you should be excited about that. --- Lally Page

 

「科学やテクノロジーを梃子にして、世界に非常に大きなインパクトを与えられる機会がそこらじゅうにころがっている。君たち一人ひとりが個性に応じたそれぞれの機会を追求できる。君たちみんなが、そのことに興奮すべきだ」 ―― Google共同創業者 ラリー・ペイジ

 

どんなに落ちこぼれていて、今がダメで悲惨な状況にあっても、自分の可能性を見捨てさえしなければ、いつでも、どこからでも挽回できます。息苦しい空気の中で生きる日本の若者にとって、自分の可能性を見捨てずに、エネルギーを注ぎ込む焦点をつけてくれるのが、僕はRubyだと思ってます。少なくとも、僕はそう感じてます。日本には、日本語圏には、Rubyを学ぶ環境がかなり整っている。これは、ものすごく幸運なことです。

日本が誇るハッカーDan Kogaiが、伊藤直也さんと語った時にこう言ってました。「Rubyが出たっていうのはすごく大きい。今のところ『日本人は何してる?』ってきたら完璧な反論ができますから」。日本に村上春樹がいてよかったなと思うのと同じくらい、僕はMatzがいてよかったなと思ってる。半年前に直感してから、その考えが揺らいだことはありません。

 

心の声に耳をすませる

今朝、この国の首相が今月末にシリコンバレーに行くというニュースを見ました。それはそれで意味のあることでしょう。でも、Rubyは、ハッカーは、世界を変える第一歩は、権力とは対極の場所から生まれてきたんです。どこから生まれるのか。それは、いつだって、ぱっと見は冴えない個人からです。どんな大いなる変革も、ひとりの個人の内に潜む「想い」からはじまっているんです。その想いを持っているのなら、躊躇してはいけない。僕は30歳からRubyを学びはじめました。僕よりも若い人にはどれだけの可能性があることか。

これまで感じてきた苛立ちも、悔しさも、諦念も、すべては素晴らしい才能の兆候です。それは今ある世界が「なんかおかしいだろう」と感じる純粋な気持ちの現れだから。

 

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma - which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of other's opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary. --- Steve Jobs

 

「君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。ドグマにとらわれてはいけない。それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。他人の意見の雑音で、自分の内なる声を掻き消してはいけない。最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。だからそれ以外のことは全て二の次でいい」 ―― Apple共同創業者 スティーブ・ジョブズ

 

その想いがあるのなら、その才能があるのなら、それをきちんとぶつけなきゃいけない。そうでなければ、せっかく君の内に眠る才能や可能性が、悲鳴をあげて君に仕返しにやってくる。偉そうに聞こえたらすみません。でも、これは僕のわずかながらの人生における信念のひとつです。僕の生きる領域は教育ですが、教育とは、こうした、一人ひとりが心の奥底に秘めている可能性を引き出し、解き放つことだと思います。

 

これからやること

教育スタートアップをはじめました。4月3日に登記して、僕は正式にセンセイプレイス株式会社の共同創業者兼CTOになりました。つい先日までスマホもネットも電気も止まりかけのCTOだったんですけど(笑えない)、会社を立ち上げて、しばらくはそういう生活とも離れることができそうなので、安心しています。ちなみに、CEOは僕の十年来の相方です。

やりたいことは、前々回に書いたことの延長にあります。半年間、仲間とともに試行錯誤を重ねました。たくさんの人に支えてもらい、アドバイスをいただき、応援してもらいながら、いろいろ変化はあったけれど、「先生を芯から応援し、教育を変革する」という根本的な軸は一貫しています。

教育を変革するという言葉を、僕は冗談で口にしてるわけではないんです。今までの「教育」という言葉の使い方は間違ってる。その言葉に想いを託してきた人がいるのは知っているけれど、僕はあえて言い切りたい。教育という言葉は、概念は、根底から組み換わる必要があります。なぜなら、「教育」という言葉が錆びついているせいで、若者をはじめ、無用な傷を負う人がそこらじゅうで増え続けているから。

教育という営みは、知識を教えることではないと僕は考えています。そういう時代もありました。今でも、それが必要な場所はあります。ただ、今はインターネットがある。授業なら、動画で見ることもできる。いわゆる「知識」を得ようと思えば得られるわけです。でも、実のところ、こうした環境は昔から存在していました。たとえば、図書館に行けば本はあった。学ぶことのできる環境にある人は、好き勝手に独学していたんです。

インターネットが可能にしたことのひとつは、昔はごく一部の環境に恵まれた人だけが許されていたことを、多くの人に可能たらしめたことです。僕が高校を中退した後に独学で受験した時、インターネットのおかげで乗り切れました。Rubyを独学するのも、ネットがなければ不可能でした。無資本からプロジェクトを立ち上げ、半年で会社設立にこぎつけるなんてことも、ウェブ時代だからこそできることでしょう。

ネットは、僕のような非力な個人が生きていく上で不可欠なツールです。その存在に、僕は幾度となく救われてきた。それに感謝する気持ちは人一倍強いです。でも、ネットは、僕だけではなく、誰もが持っている同一の環境です。一つの町に、一つの図書館があるようなものです。その存在は、とてつもなく大きい。でも、図書館が存在することと、一人の人が図書館に行こうとしたり、そこで出会うべき本に出会ったりすることとは、別の次元の話です。

本やインターネットは、僕にとって不可欠な存在でした。それなくして、僕がここまで歩いてくることは絶対にできなかった。でも、最初の一歩を踏み出させてくれたのは、本ではない。ネットでもない。何の変哲もない話だけれど、それは、人です。人との出会いが、僕に情熱を灯し、一歩を踏み出す勇気を与えてくれた。

僕は、出会うべき時に、出会うべき人と出会ってきました。そうした人たちとの出会いによって、ここまで進んでくることができた。感謝してもしきれません。教育において、最も大事なことのひとつは、そうした一歩を踏み出させてくれる「先生」との出会いではないでしょうか。単語を覚えることより、公式を暗記することより、根本的なことのはずです。

ただ、過去において、そうした出会いは、一部の恵まれた環境を持つ人を除いて、偶然と幸運に頼るしかなかった。でも、今ならあるんです。ネットとスマホの普及が、それを可能にした。時間も距離も超えて、出会うべき人に出会うことが可能になった。教育におけるテクノロジーは、そのためにこそ使う価値があると僕は考えています。

誰もが、出会うべき人に出会う場所をつくる。そこを起点に、一人ひとりが自ら学んでいける環境をつくる。それが僕らがやろうとしていることです。こうした「学びの環境」は知識を教えこむだけの教育とは根本的に違う、あたらしい教育の在り方です。それがどんな形になるのかは、僕には、まだはっきりとは分からない。これから一緒にやってくれる人たちと共に考え、作っていければいいと思う。ただ、その中心となるのは間違いなく、より良い教育への情熱を抱き、身をかけた「先生」たちです。

僕はセンセイプレイスを「教育×テクノロジー」、すなわち「EdTech」の本命たるサービスだと思っています。日本を出発点として、世界へ貢献できるプラットフォームになると思っています。単なる標語ではありません。歴史を振り返って、これが次の世代に必要な考え方や枠組みのひとつだろうという確信があるから、僕はここまで言い切ることができる。

 

「教育」という言葉の由来

福沢諭吉という人がいました。今では一万円札の肖像画に使われていることで知られていて、次が慶應義塾の創設者というあたりでしょうか。僕は一万円札を見るたびに(そんなに見ないけど)、「俺は紙幣に刷られるために生きたわけじゃないよ」と笑ってる気がします。あるいは、日本人の無意識が、贖罪のように、福沢諭吉を懐に忍ばせることを強いているのではないかと感じることもあります。

明治以前、「教育」という言葉は存在していませんでした。Educationの訳語として作られた言葉です。福沢は、初代文部大臣森有礼が「教育」という言葉を定着させようとした時、烈火のごとく怒って反対しました。教育とは、外から型にはめるように教えこむことではなく、内なるものを育てることである、というのが言い分でした。福沢は自ら「発育」という訳語を考え、提唱までした。でも、これは定着しなかった。

時代を考えれば当然のことです。あの頃は、森有礼の考えで進むしかなかった。富国強兵への道がやがて引き起こした惨禍を考慮しても、時代の大きなうねりの中で、福沢諭吉の考えは理想的に過ぎたと思います。でも、時代は変わりました。現代には、「仕方ない」ですませなくていい条件が整っている。もう、上からの富国強兵はいらない。人を型にはめるシステムもいらない。

 

教育をハックしよう

ところで、福沢諭吉の理想はどこから来たのでしょうか。それを遡ってみるのは興味深い歴史探訪ですが、今日のところは、その源流の一つを僕なりに指摘するに留めて、この論を閉じたいと思います。

ご承知の通り、福沢諭吉は「西洋事情」や「学問のすすめ」の著者です。「学問のすすめ」初編の有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」という書き出しは、アメリカ独立宣言の引用です。また、日本初のアメリカ独立宣言の翻訳は「西洋事情」に収められています。福沢諭吉はアメリカの本質に憧れを抱いていた、と僕は思います。

アメリカの本質とは何でしょうか。ポール・グレアムは、こう言ってます。「ハッカーたちは、私の知るどんな集団よりも、米国的なものを内包している」「たぶん政府の閣僚たちよりも」。そして、「私たちの国を築いた人々が、国を率いる人々について語った言葉は、むしろハッカーに似ている」と語った後に、こう続けます。

 

「ジェファーソンはこう書いている。『政府への反抗の精神は、ある種の状況では非常に価値のあるものだ。だから私は、そのような精神が常に保たれることを望む』。

 

今日のアメリカ大統領がそういうことを言うと想像できるかい。年老いたおばあさんの忠告のように、国の創始者たちの言葉を聞いて、自信のない後継者たちは自らを恥じてきた。これらの言葉は、私たちがどこから来たのかを思い出させる。ルールを破る人々が、アメリカの富と力の源であるということを」

 

僕らがこれからやろうとしていることは、すなわち、教育のハックです。福沢諭吉ですらハックすることのできなかった教育。この国のシステムの根幹です。僕は、その根幹をハックしたい。ハックとは、壊すことではありません。そういう用法もあるけれど、ハックの本質は「良い物を創る」ことであり、システムが老朽化したり腐敗したりしている時に「より良く作り変える」ことです。

福沢諭吉が憧れたアメリカの本質、すなわち独立宣言の精髄は「生命、自由、幸福の追求」です。これは単なるアメリカ的なマインドではありません。人類の知恵の結晶であり、本物の血が流された戦いの果てに民衆が勝ち取ったものです。日本国憲法にも同じ言葉が書かれてます。そうした歴史をこそ、いま、僕らは思い出す必要があるのではないでしょうか。

教育をハックしましょう。それをするのは、他でもなく、今の社会に苛立ちを覚えている人です。現行のルールの中でうまく収まりきれずに、息苦しさを抱えている人。無力感や鬱屈した感情を抱え、そのやり場を持たない人。Rubyの力を借りながら、今の社会のあり方に疑問を抱いている一人ひとりの個人が、力を合わせることによって、教育のハックは成し遂げられると僕は信じています。

 

力を貸してください!

こんな筆圧高めの文章を、ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。さぞお疲れだと思いますが、最後に、もしよろしければ、この実現のために力を貸してください。いま僕たちが助けを必要としているのは、以下の5つです。とりわけ1の「デザイン」は喫緊の課題で、Wantedlyでも募集の告知を行っています。

  1. (美術1ばかりだった僕が担当している)現在のどうしようもないデザインを何とかしてくれる情熱的デザイナー(インターン生可)
  2. 僕の師匠になってくださる、あるいは、技術的指導をしてくださるスーパープログラマー
  3. センセイプレイスで身をかけて指導にあたる「先生」(学生・社会人可)
  4. センセイプレイスという新しいオンライン教育サービスの「無料モニター指導(x2回)」を受けてくれる「生徒」(大学受験生、高校生、中学生)
  5. その他、「こういう形で力になれるかも」と考えてくださるアイデアと行動力のある方

なお、言うまでもないと思いますが、お金にはさほど恵まれている環境ではないので、そこには過度に期待しないでいただければ幸いです。

それから、僕が昨年から個人的に主宰している「Crazy Learners」という活動があります。二年目の今年は、新たに梅田望夫さんの著書の輪読を中心とした研究会をはじめます。『ウェブ時代をゆく』と、今回もいくつか引用した『ウェブ時代 5つの定理』の二冊が課題文献です。興味のある方はCrazy Learnersのウェブサイトをご覧ください。

以上、久しぶりに長文で大言壮語しましたが、書くべきことを書き上げてほっとしたので、またコーディングの日々に戻ります。最後までお読みいただき、ありがとうございました!

馬場祐平

 

 

言及したウェブサイト

www.wantedly.com

 

言及した書籍 

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

 

 (ポール・グレアムのエッセイ ウェブ上の無料翻訳一覧

 

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則

  • 作者: ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン,黒沢 健二,松永 肇一,美谷 広海,祐佳 ヤング
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2012/01/11
  • メディア: 単行本
  • 購入: 21人 クリック: 325回
  • この商品を含むブログ (36件) を見る
 

 

小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

 

 

ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)

ウェブ時代5つの定理 (文春文庫)

 

  

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

 

 

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

 

 

一ヶ月、Rubyを本気で独学した結果(文系向け)

 まともな文章にしたいのだけど、そうする余力がないので、記録のために箇条書きでメモ書きを残します。独学でRuby (on Rails)を学ぶために、まず初学者向けのまともな情報が少ないし、僕以上の事例はそういないと調べて思ったのと(自分で言ってすみません)、これから学ぶ人が増えるだろうから、その参考になればとも。

2015年5月20日 追記 

開発メンバーを募集しています。意欲と能力を兼ね備えた若者を歓迎します。スキルは、この記事を書いた当時の僕くらいあればokです。

30ruby.hatenablog.com 

 

とりあえず一ヶ月で作って動かしたやつ。

 

  • Rubyを一ヶ月間やりました。感想を言います。「テクノロジー」はすごい。世界も変えるし、個人の人生も変えます。世界を変えたいなら「テクノロジー」を学ぶべきだ。そして、何をやったらいいのか見定まっていなくて、そういう世界に興味があるなぁと思う日本人なら、特別な理由がない限り「Ruby」で間違いない。だから、いま世界を変えたい日本人は「Ruby」を学べ。

 

というのは乱暴すぎる言い方かな? そうかもしれないけど、でも、あながち間違ってないと思うんだ。だから、もっと突っ込んで言ってみます。

 

  • ジョブズは理系と文系の間に立つと言った。こういう言葉に惹かれる人間は、おそらく、理系よりも文系に多いんじゃなかろうか。社会を変えるとか、世界を変えるとか、そういう言葉に文系の人は惹かれやすいと思う(僕はおもいきり惹かれました)。でも、僕を含めて多くの場合、そういう人は「文系」的な発想で社会を変えようとする。それは日本の教育とか受験システムの弊害でもあるんだろうなぁ。。。つまり、社会を変えようとする人に限って「理系」が、すなわち「テクノロジー」が欠如している。いや、偉そうに言いたいわけじゃなくて、自分のことです。

  • 文系の人間は、「人間」は分かっていても、「社会」に興味はあっても、「テクノロジー」がすっぽり欠けている。だから、結局のところ、想いばかり空回りして、何もできない。できるのは、昔ながらのやり方だけ。たとえば、政治に踏み込んでみたり、小説を書いてみたり、塾をやってみたり、本を出してみたり、メディアに出てみたり、、、(ぜんぶ僕です)。それはそれで大事なことだと今も思いますけど、でも、それが変革の主体になりえたのは数十年前の話で、明らかに、現在の変革の主体は「テクノロジー」なわけです。「テクノロジー」との本質的な関わりを抜きに何かをしようとしても、なかなかうまく行かない。なんか「ぱっとしない」感じがつきまとってしまう。結局、想いだけが空回りして、諦めざるをえない。あるいは、想いを見失ってしまって、平凡な感じになってしまったり、邪悪な淵に落ちてしまったりする。そういうこと、なんとなく身近でも感じませんか。

  • 逆に、理系の人は「人間」や「社会」にあまり関心を持たない。だから「社会を変革する」みたいな想いは文系の人ほど強烈なことは少ない。むしろ何かの技術の面白さにのみ熱中する。それが時にノーベル賞になるわけだけど、一方で、「理系」って技術オタクに偏ったイメージがあるじゃないですか。人間とか社会とかをあまり考えない「技術オタク」な感じの人。それ自体は悪いわけではないけれど、そればかりになってしまうのは、問題も孕んでいると思う。そうした「文系」「理系」の隔たりは、もともとの人間的性向にも由来するだろうけれども、この国の教育も大きな要因だと思う。たとえば、文系と理系がおもいっきり分かれてるでしょう。東大のシステムからしてそうじゃないですか。文Ⅰとか理Ⅲって何なんだ?と思いませんか。百歩譲って、そういう分類がシステム上必要だとしても、その壁があまりに離れすぎてやいませんか。東大の受験システムの話じゃなくて、僕らの意識の話ですよ。

  • 文系は文系、理系は理系。そういう壁があることによって、僕らはものすごく大きな損をしている。おそらく、まっとうに社会に対して何かをするためには、その両者が必要なんだ。文系の人は理系を学ぶべきだし、理系の人は文系を学ぶべきだ。ここでは文系と理系と言ったけれども、要するに「人間」と「テクノロジー」のことです。社会を変えたいのなら、その主たる構成要素である両者を学ぶ必要がある。どちらか一方では、明らかに社会に対する歪みを抱える。

  • そういうのって、もったいないと思うんだ。報われずに死んだ想いは簡単に成仏しない。諦めや憎しみという形で誰かや何かに仕返しをする。でも、そんなのもったいない。熱い想いがあるのなら、それをきちんとぶつけようぜ。どこに?「テクノロジー」に。すくなくとも、文系の人間にとっては、とりわけ例えば僕の母校である早稲田の文系学部みたいに理系から遠く隔たって文系のことしか見えない人間で、熱い想いを抱えていて、その想いを無駄なものにしたくないのなら、文系の青年よ、Rubyを学べ、というのが現時点での僕の考えです(テクノロジーというのは大雑把すぎる言葉で、いろんなものがあるし、Rubyなんてそのごくごく部分的な存在であり、人の固有性や方向によって何を学ぶべきかは異なるのは当然けれども、そうした前提を踏まえた上でも、文系の個人が社会や大きな組織と立ち向かい、変革するための武器として学ぶ価値のあるものとして、今日時点で、これ以上のものは僕には思い浮かばない)

  • 思うんだけど、これは僕の母校ではとりわけ大きな問題だ。それなりに理系的素養を持っている人間は、文系にもいると思います。でも、いつしか文系的人間の中で埋もれてしまう。そういう素質を持つ人が理系的方向に踏み出すことは、文系と理系の壁を突き崩す起点になると思う。逆に、理系なのに文系的才能を持っている人はごまんといるだろうし、そういう人が伸び伸びと両方の才能を伸ばした時に、バランスの取れた姿を見せるのではないかなぁ。。。

  • もちろん合ってるか分かりませんけど、僕はそう信じてやっていきます。間違ってたら、あとで間違ってたと言うよ。懺悔はしないけど、その時は、きちんと申し開きはします。たぶんあってると思いますが。とにかく、僕はテクノロジーに出会えてよかった。Rubyがあってよかった。村上春樹が29歳の終わりに天から小説を書くというプレゼントを受け取ったように、僕は30歳でRubyを受け取りましたよ。Matz本当にありがとうと僕は毎日つぶやきながら眠りに落ちてます。

 

この一ヶ月でやったことの記録

  • 平均で一日8時間くらい(月に240時間くらい)Rubyを学んだ。一日やれない日も時々あり、やる日はだいたい一日中15時間くらい。

    具体的に言うと、

  • Rubyの本を5冊読んだ。
    (目を通した文献やウェブサイトは数え切れないけど、Rubyの学習書として丁寧に読んだのは、読んだ順で以下の通り。たった2日でできるRuby(立ち読み)、HerokuではじめるRailsプログラミング入門(いろいろ考えてこれ選んだけど今ならRuby on Rails 4 アプリケーションプログラミングの方が良かったと思う。バージョンの古い情報は大変だった)、Ruby on Rails チュートリアル(テストすっ飛ばし!)、たのしいRuby 第4版(いい本だけど、楽しくなくて眠くなった!)、パーフェクト Ruby on Rails(ぎゅっと詰まってるぶん理解が大変!)、の5冊。現時点で、チュートリアル以降は一読してまだ未消化なので、次の一ヶ月できっちり身につけます)

  • ドットインストールのプログラミング学習者向け動画を観た。
    (観た動画: Ruby on Rails 4入門 (全28回)、Ruby入門 (全23回)、Bootstrap 3.0入門 (全18回)、Heroku入門 (全12回)、ActiveRecord入門 (全14回) 。これ作った人、神かと思った。日本人のプログラミング独学者の救いです。英語のサイトならたくさんあって、英語の勉強ついでにできないかなーと思ったけど、ニュースやドラマや映画ならともかく、正確な理解が必要なプログラミング学習では僕には無理だった。)

  • あとはひたすらプログラミング!
    (これがいちばん大変!エラーばかり出て(僕の検索能力でも)なかなか解決しない。あまりに大変なので、ノリノリで行くために、作業用BGMにGroovesharkでEurodanceを聴きまくってたらダンスミュージックが好きになってきた)

    だいたいプログラミングに関してはそんな感じで、ほかには、、、

  • 一緒にはじめる仲間とごにょごにょと打ち合わせをたくさんした(濃密な時間で、激しく前進した)。これはまた別に書きたい。

  • ベネッセがやっているEdTech Lab(β)に行ってきた。勉強になったなぁ。

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

 
  • プロトタイプを作った後、使ってもらって、僕が指導もして、お金をいただいた
    (数万の話だけど、startupの最初の売上は大事なんです。それが一ヶ月でできるこの時代! プロトタイプは
    こちらから見れます(こっそり)。※後でリセットするので、いじってもらっても大丈夫ですが、まだバグだらけでエラー多いです。最低限、「生徒情報」と「先生情報」を登録してからいじってください。できれば、いじったら元に戻してもらえるとありがたいです)

  • プロトタイプ後、何人かに声をかけて話を聞いてもらったりアドバイスをもらったりした(どうもありがとう!また話そう!)

  • 近くでやっていたRuby勉強会「Yokohama.rb」に参加した。
    (それまで僕は完全な独学&ほぼRailsだけの勉強だったので、ここで本当のプログラマーとは何なのかを教えてもらうとともに、プログラミングの凄まじさに直に触れることができた。これは貴重な経験だった。たくさんの人と話せて、プログラミングの世界のことを一気に学ぶこともできた。その上、ここで出会った@kayamaさんが「先日電車の帰りに相談をされて困っていそうだったので何かあれば気軽に話かけてください。」と言ってくれなければ、とても困った問題を抱えたままだったと思う。皆さんに感謝です。)


  • 平田オリザの新作『変身』をチケットを頂いて見に行ったのと、三重の松阪まで本居宣長の墓参に行ってきた。(これだけ事業と無関係っぽいけど「人間とは何か」「私塾とは何か」「学び・学問とはなにか」ってところで僕の中ではstartupとつながってます。墓参は、EdTechのstartupを始めるにあたって、日本の学問の神様にご挨拶するようなつもりで)

    奥墓

    遺言書

    宣長作の自画像

    鈴屋

・・・みたいなもんでしょうか。ほんとうにひたすらプログラミング&starupの一ヶ月でした。「30ruby記」たるタイトルに恥じない生活だと思いますが、あまり記録している余裕はない、、、ので、ここで時々まとめて書くのと、FacebookTwitterで時々つぶやくようにします。絡んでくれると喜びます。

 

最後に、ここまでいろいろ書いたので、本当にRubyやろうかなと思った人へのアドバイスというか、忠告も残しておきます。

 

  • まず、独学は非常に難しいということ。たまにでも相談できる人がいれば、困難さはさほど変わらないにせよ、心理的にだいぶ違う。じゃないと、エラーメッセージ出た時のつまり方が半端ないです。エラーメッセージの日本語回答はほぼゼロなので、そういう時はだいたい英語サイトを読むわけです。でも、なかなかうまくいかない→いろいろ調べながら試行錯誤→2,3時間があっという間に経つ→繰り返す→何も進展がないまま一日が終わる、なんてことがザラにあります。だからアドバイスをしてくれる人はとても貴重。僕は、上記のkayamaさんに数度相談した以外は完全に独学なので(そして今も独学なので)、大変といえば相変わらず大変です。

  • Rubyって「楽しい」とか、Railsってscaffoldとかあるから「簡単」とかって最初は思ってたんだけど、これは全然違います。確かに、Rubyはプログラミングの「楽しさ」を目指して作られて。それは分かる。すばらしい言語なんだろうと思う。Railsによって、開発をするための高速な「レール」が敷かれたのも実感しました。じゃないと、僕みたいな素人が一ヶ月で兎にも角にもサービスのプロトタイプを作って試してみる、ということはできなかったでしょう。それでも、強調したいのは、Rubyを本気で学び、身につけるのは大変だということ。HTMLをちょっとかじるのとは根本的に違う(それくらいは僕もやってました)。

  • 僕くらいのスタートの人は、ひと通りのことがわかり、自分でできるようになるために、おそらく、大学受験の英語をゼロからひと通り身につけるくらいの時間が要ります。つまり、僕流に言えば(DUOを3日で終わらせ、早稲田に半年で受かるという指導をしてきた僕流ということですが)、2〜3ヶ月の集中を必要とする、ということ。仕事で誰か先輩が教えてくれるような理想的な状況を除いて(僕にはそんなものはない)、それが最低条件だと思います。普通に仕事してたり、学校通ってたりだと、かなり難しいと思う。でも、逆にいえば、本気で学ぶ覚悟や情熱があれば、3ヶ月後にはプログラミングの世界に踏み入れられているということです。たぶん。そう信じて、あと2ヶ月やりまくります。そうやって3ヶ月走った後に、もう3ヶ月やれば(つまり3月末まで)、それなりの腕前になれるんじゃなかろうかというのが今の見込みです。また、報告します。

  • ちなみに、本気でやるなら「学び方」が大事です。ここは僕の専門領域なので、簡潔に言うと、作りたいものを明確に描き(出会うしかないわけだけど)、やり抜こうと、決意すること。ビジョンを描き、わくわくすること。その上で、学び方を調べて、考えながら実践すること。完成だけにこだわらずに、その過程を愛し、楽しむこと。なんだかんだいって、問題が解決でき、前進できた時の喜びは半端ないです。自分で何かを作り出すことができるというのも快楽に近い。それ以上のことはまだ言えないけれど、根源的には『学欲』に書いたことと変わらないと思います。 

BlogとRubyと教育startupをはじめます。

梅田さんがこう言っている。

自分がいま十八歳だったらと考えてみる。好きなことがあるけれど、それを直接仕事にできるかどうかはまだわからない。ネットはユーザとして好きだ。そんな「十八歳の自分」をイメージした時、私は彼にどんなアドバイスをするだろう。

(中略)

「十八歳の自分」に向けて私は迷わず「ウェブ・リテラシーを持つ」よう助言するだろう。リアル世界とネット世界の境界領域のフロンティアを生き「新しい職業」につく可能性を広げるためのパスポートだと思うのだ。

ウェブ・リテラシーとは、たとえばこんなことである。

((1)~(3)中略)

(4) ウェブ上に溢れる新しい技術についての解説を読んで独学できるレベルまで、ITやウェブに対する理解とプログラミング能力を持つ。
梅田望夫ウェブ時代をゆく』(P208-209)

 

知っている人は知っている通り、僕ほどの梅田望夫Evangelistは少ないでしょう。事ある毎に周囲の人に勧めてきたし、アマゾンのマーケットプレイスで『ウェブ時代をゆく』を片っ端から購入して、講義の後で話しかけてくれた学生に何十冊も配り歩いたりもした。にもかかわらず、僕はウェブ時代の「パスポート」と梅田さんが明言する「プログラミング能力」については見て見ぬふりをしてきた。

自分の勝負する場所はそこじゃないと思ってきたんだろうなぁ。。。プログラミングを勉強するのは大変だから、脇に置いておきたかったのもある。哲学とか文学とか経営とか教育とか、当時の僕には学びたいことが多すぎた。十代半ばで(なぜか)Delphiやろうと本を買ってきて、さくっと挫折した経験も響いていた気もする。

でも、つまるところ僕は『ウェブ時代をゆく』の本質が分かっていなかったのだと思う。10年近くずっと。プログラミングを学びはじめて、ようやくそれが分かった。個人が生き延びるための生命線として、また、個人が世界に変革をもたらすためのツールとして、こんなにも力強いツールは他にない。それを感じている今、僕はかなりワクワクしながらRuby (on Rails)を学んでいます。

目標は3月下旬のサービスリリース。そのステップとして、今月中にプロトタイプを作って、年内にα版でテストして、年が明けたらβ版でテスト。ずいぶんゆっくりしたペースに見えるかもしれないけれど、単なるWEBアプリではなく、リアル世界の人が絡んでくるサービスなので、僕が起きている間じゅうずっとこれに没頭したとしても(当然そうするつもりだけれども)、これが限界のスピードでしょう。

 

Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール

Yコンビネーター シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール

 

僕にプログラミングを学ぼうという決意をさせてくれたのは、十日くらい前に東大の院試を終えて、合格発表の前後で読んでいたこの本。Yコンビネータ―の創業者であり、この本の主人公であるポール・グラハム彼の有名な自著でこんなことを言っている。

What hackers and painters have in common is that they're both makers. Along with composers, architects, and writers, what hackers and painters are trying to do is make good things. 

ハッカーと画家に共通することは、どちらもモノをつくる人間だということだ。作曲家や建築家や作家と同じように、ハッカーも画家も、良いものをつくろうとしている。

 この本を、梅田さんはこう評している

ハッカーは「良いものを創る人間」で、「良いものを創る」ことは「富を創る」ことに他ならない。俺たちハッカーは、論文を書くだけの学者や、決められたものを作るエンジニアとは一線を画す偉大な存在だ。芸術家たるハッカーこそがIT(情報技術)における価値の大半を創出しているんだ。そんな俺たちのことを理解してくれ。この本からは強烈な自負心を持つハッカーの叫びが聞こえてくる。

要するに、ハッカーとは天才プログラマであると同時に、新しくて凄いものを創造する「現代の芸術家」であるということ。しかも、彼らの作品は高い付加価値を持ち、それが現代の莫大なる富の大半を生み出している。そう語るポール・グラハムは、別のところでこう言ってる。

Great programmers are sometimes said to be indifferent to money. This isn't quite true. It is true that all they really care about is doing interesting work. But if you make enough money, you get to work on whatever you want, and for that reason hackers are attracted by the idea of making really large amounts of money.

偉大なプログラマは金に関心がない、と言われることがある。これは必ずしも正しくない。ハッカーたちが本当に大切にしているのは、面白い仕事をすることだ。でも、十分な金を稼げば、それからはやりたい仕事ができる。そしてこの理由から、ハッカーは莫大な金を稼ぐことに惹かれる。

「子曰く、三十にして立つ」という言葉を拠り所に、僕が自分の人生で本当にこれをやっていこう、と決意した仕事はCrazy Learnersです。やりたいことはやり始めてしまった方がいいので、もう始めてます。学んでくれてる人たちもいます。でも、これは本当にどでかい夢なので、うまく伝えるのは難しいし、時間がかかるし、第一、金にならない。

一方で、いま始めようとしているスタートアップは、ベンチャーです。ベンチャーとは、梅田さんの言葉を借りれば「(大きな決心と責任を伴う)期限付きで挑戦するビジネスゲーム」のこと。これは僕の一生の仕事ではないです。第一に、ベンチャーってのは、一生の仕事にするには大変過ぎる。だからこそ、どこの国でも本当のベンチャーを立ち上げるのは若者なわけで。

でも、若者には若者の限界がある。たとえば僕が二十代の時には、ビジネスのことをまったく分かっていなかった。今は、失敗を経たおかげで、だいぶ分かるようになりました。まず、ビジネスにはニーズがなくちゃいけない。理想が先ではいけない。

僕が本当にやりたいことは、きっと三十年後にはニーズが顕在化しているでしょう。でも、僕は三十年間じっと待っていることはできない。だから、その三十年後を十年後に引き寄せるために、僕はこのベンチャーをやります。きちんとニーズを見据えて、三十年後ではなく、十年後くらいを見据えてやります。

これが成功すれば、教育という概念が二十年分、前倒しでより良くなるかもしれません。その分だけ、人生を諦める若者が減り、ぶっ壊れた家族が減り、社会には活力が戻ってくるかもしれません。「ちょっと」かもしれないけれど、それはそれで大事な「ちょっと」のはずです。そして、その時に僕に金や力があれば、僕はCrazy Learnersという仕事に没頭できるはず。それができれば、きっと、僕の一生の役目は果たしただろう、と安心して死ぬことができるような気がする。

 

なんてことを胸に秘めながらプログラミングをはじめたわけだけど、実際のところ家に引きこもってて「git push heroku master」とかやっても「動かねーじゃんこれ!」みたいな、本当にささやかで初歩的な問題にぶつかり続けて凹むことが多いので、ちょっとでも社会とつながろうと思ったのが、このブログをはじめようと思ったきっかけです。あと、今後増えるであろう仲間が読んでくれて、何かを感じてくれるといいな、みたいなことも思ってます。

 

最後に、次の十年で僕がやりたいことをまとめておきます。

次の十年でビジネス的に最も熱い分野のひとつが、ネットと教育の境目にあるのは間違いないでしょう。いわゆるEdTechってやつで、そこには「新しい職業」もたくさん生まれる。でも、僕の目からすると、現在期待されている多くのEdTechは、テクノロジーに依存しすぎている。僕はウェブを通じた教育を六年やりました。それはそれで意味があったとも思う。ウェブの可能性は素晴らしい。そこには新しい教育の形が確かにあると僕も思っています。でも、ウェブには、テクノロジーには、それだけでは限界がある。そこを見極めなければ、真に「教育」が変わることはないでしょう。だって、教育の対象は「人」ですから。テクノロジーの下に「人間」がいるわけではなく、人がほんとうに人らしくあるためにテクノロジーを活かさなきゃいけない。

そういう思いを持って、ずっと考えたり、動いたりしてきた。たとえば『ウェブで学ぶ』で梅田さんと対談した京大の飯吉さんがはじめたOpenEducationの会合にも足を運んだり、ASEAN全10カ国の資本主義と教育の事情を歩いて見て回ったり。その上で、教育とは何かを考えるべく教育学を一通り学びました。素人考えの限界も感じていたし、人からそう見られるのも嫌だったから。やはり学問、歴史の積み重ねは偉大です。教育学を学ぶのは思っていた以上に刺激的でした。その副産物として、東大院の教育学研究科にもパスしました(だから来年4月から学生になる予定です。入学ないし卒業するか決めてないけど)。でも、僕はアカデミックな人間として生きたいわけじゃない。何がしたいのか。結局、現実を変えていきたいわけです。

こないだ代ゼミの縮小が報道されたり、もう常日頃から学校がダメだと叫ばれたりしているのは、然るべき教育が行われていないからでしょう。教育へのニーズは、常にあるんですから。本当に良い教育が行われていないのは、すべては教師のせいです。いや、そう言うと語弊があるな。言い換えましょう。教師が、教師として、その本領を発揮できないシステムのせいです。だから、教育がしょーもないものに見えてしまう。そんなものにお金を出す余裕は、どんどんなくなってくるわけで。教育への期待値は下がり、ますます教師は生きづらくなり、、、なんて悪循環が、少なくともここ二十年くらいずっと繰り返されてるわけです。

でもね。偉い学者さんがいろいろ言ってるけれど、教育において大事なのは、一人の教師が出ることですよ。一人の教師が出れば、教育は変わります。どんなに理想的なシステムを作っても、そこに一人の真の教師がいなければ、教育は行われません。僕は、その一人の教師を応援したい。

教師というのは、常にいます。僕はあまりいい教師ではないが、良い教師たりうる人を僕はたくさん見てきた。たくさんいるんです。教育熱を持った、素晴らしい教師が。そういう人間が、活躍できる場がない。だいたいが、学校の中で雑事に追われて熱意を削がれてしまったり、塾の中でサービス残業をしまくる都合のいい講師になってしまったり。そんなんじゃ、本当にいい教師になる素質のある人だって、やる気を失うでしょう。だから、そもそも先生になろうとしない。素晴らしくやる気や能力があり、かつ先生になりうる素質を持って生まれた人が、先生にならないんです。それじゃ、教育も悪くなるでしょう。

だから、僕が、その問題を解決します。テクノロジーを使ってね。教師が輝くことのできる場所やシステムを、学校の外に作っていきます。それに賛同してくれる人、応援してくれる人、一緒になって作ってくれる人を、一人ずつ増やしていきたい。そういう人を求めている人は、たくさんいます。つまり、ニーズはあるということ。だって、いま、システム的な欠陥のせいで、良い教師に巡りあうことができなくなっているだけなんだから。

本物の教師と出会うことのできる機会が増えれば、教育に対する信頼も取り戻されるでしょう。それには時間がかかります。でも、教育というのは、元々時間がかかる営みなんです。Googleみたいに、Facebookみたいに、一夜にして全世界に広まるなんてことはないかもしれない。でも、テクノロジーがあるから、そこまでじゃないにせよ、結構なスピードで変えることはできるかもしれない、と僕は内心では思っています。

いま皆諦めてるでしょう。もう教育に解決策はないなって。でも、僕はそうは思わない。地道な行動かもしれないけれど、テクノロジーに支えられた地道な行動は、必ず教育を変えていくはずです。僕はそれを確信している。それを具体的に示せるところまで行けば、僕一人じゃなんもできないけれども、教育に想いのある人が、それぞれの問題を引き受けて、解決して、一緒になって必死こいていけば、真に教育をより良くしていくことは夢物語ではないでしょう。

結論を言います。僕は、これからはじめることがEdTechの本命だと思っています。もちろん、現段階のアイデアはアイデアに過ぎない。問題点だらけです。でも、筋はなかなかいいと思っている。だから、これを元にサービスを作っていきます。ネット×教育、つまりEdTechの本命のサービスです。

いまの教育の会社って、ほとんどが昔の会社でしょう。その勢力図を、僕は塗り替えたい。そこで働いている人たちは良い人もたくさんいるので悪いけれど、いつでも時代はそうやって更新されてきたのだから。そして、実際、そうしなきゃいけないと思う。一刻も早く、それを解決しなければ、今日もまた一人、人生を諦める若者が生まれているでしょう?目には見えないけれど、そんな悲しいことはない。滅びるべきものを生きながらえさせようとするから、構造が歪になって問題が多発するんです。

だから、僕が新しいEdTechの本命を作ります。世界にも通じうるサービスです。正直、僕がやろうとしているサービスは、今はまったく見当たらないけれど、将来的にはたくさん生まれるでしょう。ビジネスになるから。でも、こういうことはビジネスに飲み込まれてはいけない。

しかし、そういう事は起こりうるんです。インターネットは幸運だった。たとえばGoogleが「邪悪になってはいけない」を第一の社是としているのは有名ですよね。でも、もしGoogleでなかったら?たとえば、中国内にはGoogleYouTubeもないんですよ。すべての検索が政府の監視のもとに置かれているわけです。そういう事は起こりうるわけです。

EdTechの本命も同じです。教育は、ビジネスに飲み込まれてはいけない。でも、飲み込まれるかもしれない。EdTechの本命がどういう人間・サービスによって担われるのか。こういうことは、歴史においてただ一度しか起こりえないことです。そこで誤った在り方になってしまったら、教育は取り戻すことの出来ないダメージを受けるでしょう。だから、僕は、たいした人間じゃないけれど、教育に人生を賭けようと決めた一人の人間として、そこだけは譲れないという想いで、EdTechの本命を創ろうと思っています。

 

二十行くらいのつもりで書きはじめたのに、久しぶりの文章なので、書きはじめたら熱くなって、出過ぎたことを書きました。まぁ、でも、これもいい記念かな? 最後まで読んでくれてどうもありがとうございます。ということで公開ボタンを押そうと思います。久しぶりのはてな&ネット復帰でもあります!頑張るので、応援よろしくお願いします!

 

馬場祐平